ある時期付き合ってた人とのことをいまだに思い出せないのだけど、
深堀したくなったのでAIに手伝ってもらった。
とりあえず残したいのでブログにもしてもらっちゃった。
すごいよね!
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博士課程にいた頃、結婚を約束していた人と別れた。
でも、そのときの記憶があいまいで――
どうしても、経緯も時期もぼんやりしている。
ただひとつ、心の奥に焼き付いているのは、**「すごく傷ついた」**という感情。
私は安心したかった。
けれど、彼は「一人の時間が欲しい」と言った。
その時は、逃げられたようにしか思えなかった。
進学も、本当は違う大学に行きたかったのに、彼のそばにいたくて選んだ。
同棲もして、“結婚できるかどうかのお試し”みたいな日々。
それだけ尽くしたのに、彼は煮え切らないまま、手を放した。
でも、気づいた。
私は“安心”と、“選ばれたい”という想いに、ただがむしゃらだった。
それはきっと、子どもの頃に親からもらえなかった愛を、彼に求めていたんだと思う。
それなのに、また“ちゃんと見てもらえない相手”を選んでた。
それが、どこかで馴染んだ安心だったから。
本当は、結婚じゃなくて、“自分の道”を歩きたかった。
でも、当時の大学が合わなさすぎて、つらくて、「もう無理」と思った。
結婚は、私にとって“逃げ道”だった。
でも、思い出す。
大学時代、往復6時間かけて通いながら、バイト漬けで、授業にも出られない毎日。
それでも、4年のとき――やっと学費の支払いが終わって、筑波の研究所に派遣された。
そのとき出会った、超伝導の世界のわくわく感。
「これが、私のやりたいことだ」って思えた。
だから、企業に入って研究職を目指した。
でも現実は、学部卒に研究はさせてもらえなかった。
希望が立ち消えになって、「やっぱり研究したい」って、大学院へ戻る決意をした。
思えばもっと前、高校の化学の授業で「なんて面白いの!」と感じたあの瞬間が、すべての原点だった。
薬学部に行きたかったけれど、学費や偏差値の壁があった。
それでも、科学を諦めず、少しずつ“研究者になる道”を選んできた。
悔しい思いもたくさんした。進学先、親、環境、体力――それでもあきらめなかった。
いま、こうして振り返ると、
私はずっと“逃げながら、でも進んでいた”。
安心が欲しくて誰かにすがったことも、
でも、やっぱり「研究がしたい」と思えたことも、
どれも私の“本気”だった。
だからこそ、今ここから、あらためて自分に問いたい。
「今の私が、“あのときの私の夢”を、どう引き継いでいく?」
この問いを抱えて、また進んでいこうと思う。
きっとまだ、この先に見たことのないワクワクが待ってるから。