シャルバートの信仰 | 坂道ぶろぐ 2011

シャルバートの信仰

宇宙戦艦ヤマトが今も大好きでして、
それもリメイクの方ではなく、
西崎義展さんの昭和の時代のが好きです。
テレビシリーズでは「宇宙戦艦ヤマトⅢ」
が一番好きでした。





その作中で「シャルバート星」という、
ヤマト(地球)ともガミラスとも敵とも
違う勢力が登場するのですが、
その星は過去に高度な科学力と圧倒的な
武力を保有してたものの、武力頼みでは
真の平和は得られないと悟り、それらを
放棄、絶対平和主義の思想を確立。
敵から無差別に侵略・攻撃等を受けても
無抵抗主義を貫き、その結果、死しても
シャルバートの名と無抵抗主義を銀河に
残したいと。

宇宙戦艦ヤマトという世界観においては
極めて異色の存在で印象的でしたが、
逆に言えば、戦いを放棄する=死である
ことを暗喩している
とも言えます。

「暴力は絶対ダメ」と、
それは正論としてはわかるんですけど、
しょせん正論止まりで、
ハヤブーはその言葉・考え方に対しては
一貫して違和感があります。
例えば、映画もドラマもアニメでも、
フィクションとは言え暴力シーンなんて
普通に出てきますし、
(暴力描写の必要性があると)
ジャッキーチェンも北野武も人を殴るし、
プリキュア(キュアプレシャス)だって
500キロカロリーパンチを繰り出して
敵を攻撃します。
プロレス等のショービジネスはもちろん、
ボクシング等のスポーツの世界でも、
やはり殴る蹴るは肯定されています。
それ以前に、地球上、世界の各地域では
紛争(暴力)が絶えないですね。

自衛を中心に、暴力が必要な時もある
全否定するものではないのではないかと。











なので、子供が生まれたら、
男の子でも女の子でも、ハヤブー的には
自衛の目的から早いうちに空手を習わせ
たいと考えていたのですが、
(自分も一緒に習おうかと・笑)
それについては妻の理解が得られず、
子供達はヤマトなんて見てもいないのに
なぜかシャルバートの教えに染まり、
絶対平和主義・無抵抗主義を貫く考えで、
果たしてこれで良いものか?と(苦笑)

先日なんて、上の子が会話の中で、
「戦争する位なら占領された方がマシ」
なんて言うんで仰天しました。
シャルバート信仰、恐るべし!(爆)

自分は戦争を実際に経験していませんが、
両親は揃って大東亜戦争経験者ですし、
学校生活でも、社会人生活でも、
50年生きてきた中で、やっぱり上記の
ように考えてしまうのですが、
(暴力が必要な時もあると)
ひょっとしたらそれは正しくなくて、
生まれ育った昭和という時代が、当時は
まだ暴力が必要だったというだけで、
これからは本当にそれも不要になるのか、
そうなって欲しいですが、果たして。





ちなみにヤマトⅢの作中で、デスラーは
「丸腰の相手を攻めたりはしない」と、
そう言ってガルマン・ガミラス帝国軍は
シャルバート星から撤退するのですが、
それは彼が「武人」だからで、
一般的には相手が弱い/丸腰だと思えば
嬉々として攻撃・武力制圧しようとする
奴等が圧倒的に多いと思います。
例えば、新宿辺りに出没して女性だけを
ターゲットにする「体当たり男」とか、
彼らは卑怯にも明確に相手を選んでいて、
女子プロレスラーや婦人警官には絶対に
体当たりなんてしないんですよね。
現実には体当たり男の体当たりを避ける
術はないだろうと思いますが、それでも
「自分を強く見せる工夫」は必要だろう
と思いまして、そのための空手なのだと。