ED75-1039号機を想う… | ED91-11の撮影日誌

ED91-11の撮影日誌

宮城県を中心とした鉄道写真の撮影日誌(たまに鉄道以外も?)を公開しています。

以前はED75形式ばかりでしたが、2012年10月から石巻線のDE10形式を中心に撮影です(おかげでイベント列車などそっちのけ(笑))。

今年も早いもので2月となりました。

あの東日本大震災発生から約2年が経とうとしています。


今やニュースを見ても被災地復興のニュースは少なく安倍内閣関係のニュースや、芸能ニュースばかりで、被災地のことも半分風化しつつあるように思えます。


しかし今でも被災地にとってはまだまだ復興は終わったどころか、始まってすらいない場所もあります。

未だに仮設住宅で不自由な生活を強いられている人々も少なくありません。


そんな人たちがいる限り、被災地の復興は終わらないのです。被災した人々がまた自分の家で、笑顔を浮かべながら家族で幸せに暮らせる日・・・そんな日が来てやっと復興は終わるのだと私は思います。


さて、そんな間もなく震災から2年という節目を迎えるのでこの機関車について書きたいと思います。



ED75-1039号機、言わずと知れたED75形式のラストナンバーです。


ED75-1039号機は人に例えればまさに波乱万丈といった人生でした。


転機は、JR東日本への貨物列車牽引の受委託解消に伴う売却でした。


JR東日本から貨物へ当時青森運転所に在籍していた1033・1034・1036・1039号機の4両が貨物に売却されました。当時はJR貨物もまだEH500の新製も始まったばかりで、貨物所属車のED75は70両以上いました。そんな中で売却されたものの、1033号機と1036号機、そして1039号機は運用を始めたものの、あまり長期間活躍せずすぐに運用を離脱したり、部品取りと化していたりしました。


1039号機も走り始めたものの、幾度となく重度の故障を起こし、そのたびに長期休車となっていました。

その後、ED75形式の廃車が進む中で、EH500形式の故障が目立つようになると、ED75-1039号機は不死鳥のごとく再起します。


その後、2007年に大宮で全般検査を受け電暖灯の撤去や、正面窓以外の黒Hゴム化などの変化はありましたが、Hゴムはその後、白くに塗りなおされ、ほぼ原色ということで活躍を続けていました。


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写真は2009年2月の9562列車。八戸臨海鉄道のホキ車と貨物所有のチキ車入場という豪華編成で1039号機が牽引。この頃既に定期で東北本線岩沼以南に入線する運用はなく1039号機を追いかけて数多くの人が東福島駅を訪れました。


そして2010年6月、ED75も風前の灯となっていたころ、1039号機の引退がささやかれ、1039号機はひとまず眠りにつきます。


しかし2011年3月に台車検査を受けて、3月2日に本線試運転を実施。運用に復帰しました。


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写真は3月9日の94列車。定刻より1時間ほど遅れて東仙台信号所を発車しました。まさかこの時、2度と仙台総合鉄道部に入区することができなくなるとは思いもしませんでした。


そして上の写真から2日後、3月11日14時46分、東北地方でM9.0の地震が発生。


東日本大震災の発生です。


それから数十分後、92列車を牽引していた1039号機は浜吉田~山下間で緊急停止後に津波に襲われました・・・


地震直後は、会社や自宅の片づけに追われ、自分のことで必死でしたが時が過ぎるにつれて津波で被害を受けた鉄道の情報が入ってきます。


私は見ていませんでしたが、TV局のニュース映像で泥沼の中にたたずむ1039号機の姿が映し出されていたそうで、私も後日ネットでその様子を見ました・・・


多くの人の命が奪われた震災で、正直機関車はどうでも良いと思っていました。


しかしなぜ1039号機なのか、なぜ復活して10日も経たずに1039号機は歩みを止めなければならなかったのか。その後、この92列車は常磐線での沿線火災の影響で1時間遅れていたということを知りました。もし遅れてなければ少なくとも原ノ町に着いており、津波の被害は免れたのにと・・・そう思ってしまう自分がいました・・・


あの1039号機だけに簡単に割り切れはしませんでした。そこまで人間上手くはできてはいません・・・


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後日、仕事の都合で1039号機を写す機会がありました。

牽引していた貨車20両は津波に流されたものの1039号機は、線路上で耐え抜き、乗務員さんも助かったそうです。重量が67tもある機関車は脱線すらしませんでした。


その姿を見て少し報われた気持ちになりました。他の被災車両は原型もとどめないまでに破壊された車両もいたのに、1039号機はその姿をとどめ乗務員さんの命をも救ったのです。そして線路上で耐え抜いたその姿は、あの奇跡の1本松のように我々ファンはもとより人々に希望の光を与えてくれました。


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時は流れて10月、1039号機の後ろにあったコキ車はすべて片づけられ、1039号機のみポツンと残されていました。


はたから見るとなんだかモニュメントのようです。秋晴れのもとたたずむ1039号機。ここら数kmほど離れた岩沼駅では1039号機の先輩たちが1039号機の分まで働いていました。



そして11月、1039号機は保存も検討されたそうですが、残念ながら現地解体され、その姿を消しました。




劇的な半生を送ってきた1039号機、私たちはその雄姿を決して忘れることはありません。