2016年。
一言で言うなら、
わたしにとって、どうしようもない年でした。
こんなに辛い年はありませんでした。
1年前、悲しいお別れがあってから、
長いこと立ち直れないでいました。
彼女が亡くなった日の夜、
わたしとずっと一緒にいてくれた友人K
4月に突然、旅立ってしまいました。
いまでもまだ、うねりのような悲しみに包まれ、
涙が止まらなくなることがあります。
わたしは長いこと、
たぶん子供の頃から、
自分の内面を、
人にはあまり見せずに生きてこれてしまったようなところがあります。
育ってきた環境がそうさせたのかもしれません。
年月とともに顔の使い分けがどんどん上手くなり、
奥の奥の、本当の自分は自分でも時々忘れるくらい、
誰にも見せることはありませんでした。
けれど、このふたりにだけは、
見せることも話すこともできた。
わたしのそのままを受け入れてくれたふたりでした。
ふたりをなくしてから。
悲しみを誰かと共有することもできず、
ただただ、
胸のなかの折れた箇所を応急処置しては日々を過ごす、
そんな毎日でした。
ヒトは「悲しい」を通り越すと、
こんなんなっちゃうんだ、と、
時折他人事のように自分を見たりもしました。
自分のブログの過去のページを開くと、
ふたりとの思い出をうっかり見てしまったりして、
ブログもなかなか開けない日が続きました。
何かをしていないと、壊れてしまいそうでした。
何かに駆られるように、
まったく知らないドアを片っ端から開けてみました。
新しい世界を作り、自分を丸ごと上書きしてしまわなければ、
本当に壊れていきそうでした。
今年はたくさんの人と知り合いました。
人のなかにいると、少しだけ安心できる気がしました。
ひとりでいることができませんでした。
たくさんの人と接するなかで、
宝もののような言葉が少しずつ増えていきました。
それが少しずつわたしを支えてくれた気がします。
かつてないほど丁寧に、人との縁を大事にした気がします。
そのなかのひとりに癌専門医がいました。
病気とも病院とも全く離れた場所で出会い、
お互いの背景を知ったのは、
知り合ってから少しあとだったので、
不思議な縁?にお互いびっくりしました。
新しい認識が出来、死生観までも変化していくような、
そんな話をたくさんしました。
乳がんの告知から5年以上が過ぎて、
改めて「がん」になったことを、
俯瞰しながらなぞったような経験でした。
そして秋の終わり、
その友人が、
自身の専門外である乳がんの先進医療に携わることになり、
またお互いに不思議な縁を感じました。
友人の仕事の内容に、
わたしの経験が役立つようなこともあったりして、
まだまだお前も役に立て!と、
どこかから言われているような気がしたように思いました。
しっかりしろ、と。
もう、会いたい人には会えない。
けれど、わたしは生きている。
呼吸をしていることでいいのではない。
少しでも意味のある生き方を。
真っ直ぐに。
ずっと同じ場所に留まっていたような1年でした。
孤独を感じることも少なくありません。
でももう、進まなければいけないのだと思います。
胸のなかをそのまま書いた。
やっと書けた。
重たい思いは、今年に置いていきます。
大切な思いを抱いて、
来年に足を踏み出そうと思います。