生きていくためには、
忘れていいことも、
たくさんある。
けれど、
忘れてはいけないことがあるとしたら、
わたしにとって、
それは、今日だ。
震災と告知からいままでの間に、
自分のなかに芽生えた思い。
癌という大きな病気にはかかったけれど、
幸い、いま元気で過ごせている。
元気で過ごせてるわたしには、
使命があるような気がしてならない。
前を向いて、進む使命。
3年前の今日、
たくさんの人生が終わってしまった。
たくさんの可能性も、夢も。
全ての方に、
帰りたかった場所があって、
待つ人が愛する人がいて。
病気後の日々のなかで、
いくつかの悲しい別れがあった。
その度に、
見えないバトンを、
受け取ったような思いが残った。
数えきれない多くの無念の上に、
わたしは今日、
生きている。
3月11日の今日。
わたしは42歳になった。
いつものように、
職場へ行き、仕事をし。
ごはんを食べた。
何もかもに感謝した。
化学療法の副作用が辛かったとき。
布団のなかで、
それまでの日々を取り戻したいと、
泣きながら思った。
普通に歩きたい。
家族のためにごはんを作りたい。
仕事へ行きたい。
ただ何もなく、おやすみと、
普通に毎日を過ごしたい。
それだけを願っていた。
いま、
その願いは叶っている。
それ以上の日々を送ることが出来ている。
朝から、
いくつものメールを受け取った。
パンを焼くのが得意な同僚が、
手作りのパンをプレゼントしてくれた。
夫が早く帰宅できたので、
3人で食卓を囲めた。
今日一日、
全てに感謝して過ごした。
本当にありがとう。
B君。
お誕生日おめでとう。
今日はなにをして遊びましたか?
今日はいい日だったでしょうか。
B君のこの1年が、
素敵な年になりますように。
心から願っています。
全ての人に、
穏やかな明日がきますように。