多くの人がそうであるように。
わたしにとっても、
今日は特別な日。
3月11日。
夫につながるまで、
何時間も、リダイヤルを押し続けた。
今朝いってきますと、
玄関を出た夫が、娘が、
必ず戻るという保証がどこにあるんだろう。
電気も点かず、
水も、ガスも。
あの映像を目の当たりにしたら、
それまで当たり前だと思ってきたことのほうが、
おかしいとさえ思った。
数えきれないほどの無念を思うと、
いまも言葉にならない。
言葉が見つからない。
人生は、長さではない。
誰かが生きたかった今日を、
生きて、生きて、
生きる。
生きることを全うする。
そして、いつか人生が終わるときに、
その最後の記憶のなかで、
ああ、いい人生だったと、
穏やかにその時を迎える、
それが、死であってほしい。
震災の4ヶ月後、
告知を受けた。
生きる、ということを、
考え続けた2011年だった。
去年の3月11日。
震災から、1年後。
職場復帰した日。
3月11日というこの日に。
意味があるような気がした。
もう何も望めないと思った日もあった。
けれど、この日をまた迎えることができて、
新しい人生が始まる気がした。
そして、今日。
41歳になった。
生きていることに感謝する。
ただ、ひたすらに感謝を。
家族に、大切な人に、
全ての人に、
明日がきますように。
明日が穏やかな日でありますように。
最後に。
母へ。
望まなかったかもしれないけれど、
産んでくれてありがとう。
心から、そう思う。