【閑話休題】18〜19世紀ヨーロッパ、音楽家の家・住まいってどんなのだったの?
こんにちは。久しぶりの更新になりますね。
今日はちょっと雑談な情報です。宜しければご一読ください。
日本とヨーロッパの住宅の違い
ヨーロッパでは、「築400年」「築600年」なんて住宅が当たり前。
400年前というと日本では戦国時代、600年前は室町時代ですので、お寺や文化財ならともかく、そんな昔に建設された住宅に今も普通に暮らしているなんてなかなか想像しづらいですよね。
また、ヨーロッパと日本とでは住宅に対する基本的な考え方が異なります。
ヨーロッパではごく一部の大都市部を除いて、多くの人がご先祖の建てた家に代々暮らします。ヨーロッパの住宅はほとんど石造りでできているので、日本の木造住宅に比べもともと頑丈ではありますが、ほころびが出てきてもその都度修復し、大事に丁寧に暮らし続けているのです。日本と異なり、地震や台風などの自然災害が少ない点も理由としてあるでしょう。
さて、そんなヨーロッパですから歴史上の有名な人物が暮らしていた住居が今もそのまま残されている、なんてことも珍しくありません。
その中でも例えば、モーツァルトやベートーヴェンなど、歴史に名を残す有名な音楽家たちはどのような住居で暮らしていたのでしょうか。
今回は、18~19世紀ヨーロッパの音楽家たちの家について、ご紹介したいと思います。
音楽家たちの生まれた家
有名なヨーロッパの音楽家たちは、どのような家で生まれ育ったのでしょうか。
「音楽家になるくらいだから、やっぱりお金持ちの家の生まれが多いのでは?」と思われるでしょうか。
確かに、ある程度豊かであったり、父親や祖父が社会的地位のある職に就いていたという音楽家も少なくありません。
例えば、幼少期から「神童」と言われたモーツァルト(1756-1791)。
その生家は現存し、1880年に「国際モーツァルト財団」がこの生家に博物館を設立し、現在では観光名所となっています。
その頃は父親がオーストリアのザルツブルクで宮廷音楽家・ヴァイオリニストの地位を得て活躍していたため、それなりの生活をしていたものと思われます。
現在は4階建ての建物全体が「モーツァルトの生家」とされていますが、実際にモーツァルト一家が暮らしていたのは4階部分のようです。
1階の玄関には呼び鈴のようなものがあり、各階をそれぞれ別に呼び出すことができたようですから、今で言う4階建てアパートのような住居であったことが想像されます。
ベートーヴェン(1770-1827)も、祖父が宮廷楽長・歌手、父親も宮廷歌手という音楽一家で、比較的豊かな家の生まれということになります。
ドイツ、ライン川沿いの小都市ボンで産声を上げました。
「ベートーヴェンの生家」は2棟の建物から成り、入口側の手前の建物ではなく、中庭に面した奥、外壁が黄色く塗られた建物の方にベートーヴェン一家が暮らしていたそうです。1階にはキッチンなどの水回り、2階には3つの居室があるそうで、ベートーヴェンはここの屋根裏部屋で生まれたと言われています。
ベートーヴェンの死後、1873年に「ベートーヴェンの生家」という名のレストランになったそうですが、1889年に2棟ともが売りに出され取り壊しの危機にあったところ、ボン市民の有志が「ベートーヴェン協会」を設立し、これらの建物を購入して「ベートーヴェン記念館」としたとのことです。
現在は「ベートーヴェン・ハウス協会」の管理する「ベートーヴェン・ハウス博物館」として、世界最大のベートーヴェン・コレクションを展示しています。
モーツァルトやベートーヴェンの家庭は現代の日本に例えると、都市部で大企業に勤務するサラリーマンの家庭や、地方では公務員の家庭くらいの経済レベルと例えるとイメージしやすいでしょうか。比較的豊かではあるものの、大金持ちというわけではありません。
大金持ちと言えば、ドイツはハンブルクでユダヤ人銀行家の息子だったメンデルスゾーン(1809-1847)が真っ先に挙げられます。残念ながら生家は現存しませんが、かなり大きな家に住んでいたという記録も残っています。メンデルスゾーンは教育熱心な両親のもと、音楽だけでなく様々な高等教育を受けたそうです。
また、本の出版業を営んでいたというシューマン(1810-1856)の生家(ツヴィッカウ;オーストリア)も広場の一角に面した立地も良い大きな家です。シューマンの生家は現存し、「ロベルト・シューマンハウス」として公開されています。
では反対に、実家が意外な家業をしていた音楽家と言えば、まず真っ先に「交響曲の父」と言われるハイドン(1732-1809)が挙げられます。モーツァルトと同じオーストリアでも、ハンガリーとの国境に近い農村の生まれ。
今でもこの生家が現存するローラウという村はオーストリアの典型的な田園地帯で、特に観光地として有名な場所というわけでもなく、素朴な農村風景が広がります。
ハイドンの生家は、当時としては典型的な普通の農家。ハイドンの弟子であったベートーヴェンも「おお!この寂れた農家に偉大な才能がやどった」と言ったといわれています。
この生家は19世紀末に一部焼失したものの再建され、ハイドンの没後150年の1959年に「ハイドン博物館」として公開され、更に生誕250年の1982年に整備され、ハイドン一家が暮らしていた当時の様子を再現しています。
また、歌曲などの室外楽を多く遺したブラームス(1833-1897)は、大金持ちのメンデルスゾーンと同じくドイツのハンブルク生まれですが、市内の貧民街に住む下層市民の家庭に生まれました。木造7階建て集合住宅に住んでいたそうです。ブラームスの生家は現存しません。
また、チェコ出身のドヴォルザーク(1841-1904)は、プラハから30km近く離れたネラホゼヴェスという田舎町の肉屋と宿屋を営む家に生まれました。ドヴォルザークの生家も「ドヴォルザーク博物館」として公開されています。
また少し変わったケースでは、教師が自宅の一部を学校として使うというのは当時珍しくないスタイルだったようで、教師の家に生まれた音楽家もいます。
シューベルト(1797-1828)は、ウィーン生まれの都会っ子。
教師をしていた父親は、当時としては平均的といえる建物の1階と2階を借り、それぞれ学校と住居として使っていたといいます。
現在は「ウィーン市博物館 シューベルト記念館」として観光に訪れることができますが、この建物には当時、シューベルト一家を含む16の家族が暮らしていたそうです。
また、オーストリアの小さな農村アンスフェルデンで父親が教師をしていたブルックナー(1824-1896)の生家も、自宅の中に村の子供達が通う小学校を設けていました。
音楽家たちの住んでいた家が多く残るウィーン
今も「音楽の都」として知られるオーストリアの首都ウィーンですが、18~19世紀はヨーロッパ各地から音楽家たちが集まりました。
そのため、街中の至る所で「○○の住居跡」のような記念碑が見られます。
しかし、多くの現存する音楽家の生家がそうであったように、博物館などとして公開されている住居跡は決して多くありません。その理由は、現在も当時と同じように誰かが住居として暮らしているケースがあるからです。
私たち日本人の感覚で言うと、「織田信長の住居跡」に今も当時の建物のまま人が暮らしている、なんて考えられないですね。
ウィーンでの音楽家の住居跡の中でも観光スポットとして最も有名なのが、モーツァルトが黄金時代を過ごした(1784~1787年まで)「モーツァルト・ハウス」と呼ばれる建物でしょう。
この家は、ウィーンの中心部ともいえる「シュテファン寺院」という大聖堂のすぐ近くで、モーツァルトが暮らした当時も一等地だったそうです。
四つの部屋のほか台所、倉庫、酒倉などもあり、モーツァルトが大好きなビリヤード台も置けるほどの広さで、家賃も当時としてはかなり高価だったということです。
また、ハイドン最期の家も「ハイドン博物館」として公開されています。
この家は自身のロンドン旅行中に妻が見付けた家をハイドンが大変気に入り、1793年に購入したそうです。その後、1894年から1896年にかけて平屋だったこの建物を2階建てに改築し、以来、2階で暮らしたそうです。
現在は中に入ることはできませんが、ウィーン国立歌劇場の指揮者として活躍していたマーラー(1860-1911)が1898~1909年に住んだアパートも現存しています。
建築家オットー・ヴァグナー設計で、アール・ヌーヴォーの装飾が施された5階建ての建物は当時最新のアパートでした。マーラーはここに八つの部屋を借り、台所から浴室まで付いた広いものであったといいます。
作曲家の別荘
この時代のウィーンで活躍した作曲家たちは、しばしば夏の間ウィーンを離れて別荘で過ごすことを習慣としていました。
中でもベートーヴェンは引っ越し魔として有名で、そうした夏の間の別荘も含めて生涯に80回近く引っ越しをしたそうです。
特にお気に入りだったのは、ウィーン市北部のハイリゲンシュタットという地域で、現在「ハイリゲンシュタットの遺書の家」という記念館として公開されているものも含め、ベートーヴェンの住居跡が点在しています。ハイリゲンシュタットは現在も自然の残る閑静な住宅街ですが、ベートーヴェンの時代はもっと自然豊かな田園地帯だったそうで、この自然の中を散歩したりして過ごしながら創作のインスピレーションを得ていたということです。
また、ウィンナワルツで有名なヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)とブラームスは、バートイシュルという温泉保養地で夏を過ごすことが多かったそうです。
ウィーンからは、現在でも特急とローカル線を乗り継いで3時間半と、決して近い場所ではありませんが、山と湖の美しいこの場所はウィーンの音楽家ばかりでなく貴族、皇帝までも好んで訪れた極上のスパリゾートだったようです。
夏の別荘を単なる休暇や保養のためとしてではなく、創作活動の軸として考えていたのはマーラーでした。
マーラーはウィーンでは作曲家としてというよりも、指揮者として活動していましたから、夏の休暇は重要な創作の時間でした。いわば、「休暇作曲家」です。
マーラーが避暑地に選んだのは、オーストリアのシュタインバッハ、マイヤーニク、トーブラッハなど、いずれも自然に恵まれた美しい場所。
マーラーはそこに、寝泊まりする滞在場所とは別に「作曲小屋」を用意しました。シュタインバッハやトーブラッハなどに現存していますが、どれも掘建て小屋といっていいような簡素な作りの小屋で、ここにマーラーは一人で籠もり、自然の息吹に耳を傾けながら作曲活動に打ち込みました。
自然を崇拝し、憧れ、マーラーにとって自然はインスピレーションの源泉でした。実際に、マーラーの音楽の中からは静かな森の中で耳を澄ました時に聞こえてきそうな自然の響きがいくつも聞き取れるでしょう。
さいごに
今回は音楽の都ウィーンを中心に活躍した音楽家たちの家について主にご紹介しました。当時の暮らしぶりや経済状況、人物像まで現代に伝えてくれる住まい。クラシック音楽ファンにとっては、これら作曲家の家やゆかりの地を巡る旅も楽しみの一つとなっています。