まさに、人それぞれ、仕事の内容、経験で、

「あるべき姿(表現古すぎ!)」は、

 ぜんぜん、

違うと、

 それは、当然で、否定するつもりは、

ありません。

 

 

 

 私に限って、の話ですが、

 

 35歳を過ぎてからは、

会社の従業員、「雇用を安定させる」これを考え、

 「経営に提案、投資」、これの、

繰り返しでした。

 

 要するに、1,000人単位の事業所の社員、

 「このままでは、自滅する!」、

 「撤退の後、次は、どうする!」、

 

 その成否の結果は、10年後、

失敗を前提に、

 スタート時には、

別の模索を、開始してました。

 

 

 

 これには、優秀な先輩たちも、

チャレンジしていて、

 

 「高度成長時代」、

 現実には、爆増した人口に対して、安い賃金で、単純作業の繰り返し、

それに、危機感を持った、経営者は、

 

 例えば、放射線(γ線)滅菌でも、分解しない、

安全で、物性に優れる化学品、

 欧米の、合成技術に負けない製品を、

1970年代には、

 国内に、設備投資、

生産していました。

 

 危機感、そして、将来のため、取り組んでした、

先輩たち、

 結果を、示しました。

 

 

 

 最近まで、

 

 協力企業に、

 北海道大学大学院・医歯学研究科を、定年で退職され、

起業されたので、

 そこで、委託生産してました。

 

 委託費として、

 時給、4,000~5,000円を、支払っていて、

一生懸命、工夫も、してくれました。

 

 「笑顔」、よれが、良かった。

 

 こんな調子ですが、

 農林水産省・研究機関から、海外の研究所に、

転職された方、

 

 論文にも、私の会社名、名前を出して、

謝辞で、述べてくれました。

 

 今も、その連絡すら、ありませんが、

 

 東京都知事と、面談もできたし、

孤独には、

 ならないものですね。

 

 おわり。