ひさびさPCの前にて、アメブロを・・・。 外は快晴、春陽気でございます。


これを見た方、はじめまして。 久々見た方もお久しぶりでございます。


特に、なんも報告することはありませんが、仕事も不満たらたらですが、無事にやっておりますよwww


車の整備士なのですが、ある程度の整備はできるようになりました。でも肝心の整備士免許ですが、試験すらいってません。


というか、まだ行かせてもらってません。


言い訳するなら、社長が講習の願書提出日時を完全にスルーしていたので・・・・orz


ま、今年は自分から言って、行こうと思います。


話変わって、風邪ひきました。これも何年ぶり・・・・。


喉痛いし、頭痛い。仕事中に吐くWWWW


昨日、今日とお休みもらってます。明日は、末っ子の入学式ですが、仕事に行きます。3日連休は、流石に迷惑かかりますから。


そうでした、最近家の近くで、火事がありました。


夜中3時、なんとなく消防車のサイレンで目を覚まし、えらい近くで音消えたな・・、まさか・・・、ってカーテン開けて、窓見たら近くの家が火事でした・・・。


あまりのびっくりに、慌てて飛び出て見に行きましたが、半端ないのと、恐怖を覚えました。


後日でしたが、放火の疑いだったみたいで・・・。改めて、恐怖でした。


後どんどんと尽きない話ですが、新たに家族が増えてます。やんちゃ盛りのメス猫2匹www。


名前は「椛(もみじ)」「楓(かえで)」。


去年の秋にもらってきたので、そう名付けました。


食事には貪欲な猫なので、太るんだろうなと思いますが、まだスリムですwwwwwww

黒白が椛、灰虎が楓。


基本、食べる、暴れる、寝るしかしない姉妹なので、ほぼ自由にさせてます。ただ困るのは、排泄がうまくいかない(決まった場所だけど、トイレのないところでする)ので、躾に時間がかかります。


でもいてくれるだけいやされます。名前読んだら返事しますもんねww


と、長くなりました。また、更新できる日をお待ち下さいね。

久々にブログ・・・、ですね。

色々頑張ってますよ。しんどい日が続いてますが、歯を食いしばってやってます。

今がんばんなきゃ、いけないんだよね。
目標たてた手前、くたばっちゃいけない。
挫折もできない。
身を削ってでも、自分らしく生かなきゃダメだろう。

そのうち、絶対笑い話になるんだろうけど、その日まではね。

自分の身に課せられたハンディキャップ(身体障がい者として)は理不尽なんだと思うけど、最期まで順風満帆ではないだろうって、思っていたから仕方ない。

でもね。

そんなハンディキャップでパートナーが苦労してるのが辛い。

非情に悪かったなぁ・・、って。

無理させて。

謝ることしかできんかった。

恐らく、自分が先に旅立つだろう。

やっぱり、最後まで「ごめん」って謝るんだろうな。

ま、でもそれまで、身体が動くまで、心臓が止まるまでは、頑張りたいと思う。

少なくとも、今ある夢、目標、叶えられるように
努力していきたいね。

ん、せめて・・・、宝くじ・・・、贅沢は言わないので

1億円当たんない・・、かな?w




iPhoneからの投稿

まー人生語っても仕方ないんだが、母について書きますか・・・・。


今現在、母はこの世にいません。生きてれば61歳ですか、そんなこんな14年前数え47歳で他界しました。


俺18歳、2番目弟17歳、3番目弟9歳・・・。


親孝行今からやってくんだと、自衛隊に入隊した矢先でした。


俺が新隊員として入隊して、自衛隊内の公衆電話で「ここなら、がんばっていけるが!!」って安心させたのは、ついこの前のように感じます。


そしてその、3ヶ月目前期教育課程が終了し、ゴールデンウィークの為、母に自衛隊まで迎えに来てもらったのが最後でした。よく考えればあのときにも、母の病状は進んでいたのだろうと思います。


母の病気は「癌」でした・・・。


病気が解ったのは、ゴールデンウィーク終わって、後期教育課程始まってすぐでした。母の体に異変が出てたのです。

内臓疾患からくる特有の足のむくみ・・・。はじめはそんなこと知らないから、貧血か何かと思って、かかり付けのクリニックで点滴を打った程度の処置でした。


相手は「癌」です。そんなんじゃ治らないはずなので、ますます病状は悪くなるのは、当たり前でおかしいと思った親父は、隣の町の病院に連れてくことにしました。


そのとき親父は、母を乗せた車でぼそっと「家には戻れないかもしれん・・・」と口にしたそうです。幸い母の耳には届いていなかったようで・・・・。


母の入院生活は、始まって訪れた母の日も病院内でした。自分の働いた給料で母にカーネーション贈ったのは、これが最初で最後でした。


そして、正式な病状がわかったのは、その何日もしない後でした。もちろん親父から・・。その日の夕方母の見舞いに行くのを渋ったのは、よく覚えてます。


急変した日も覚えてます。

教育訓練で高千穂登山して、疲れてベッドでクッテッとしてるとき教官が慌てて「すぐ病院にいけ!」と言われた日、駆けつけたベッドの母の酸素吸入器をつけてる姿を見て・・・・、そこで初めて号泣した。思った・・・、「もう助からないんだ」と・・。思わず頭もおかしくなりそうだった。


そして、病院につきっきりで過ごしたけど、何日たったのか、何回夜が来たのか覚えていない・・・。そんだけ、自分も混乱と心配と不安とで、頭がいっぱいいっぱいだった。


そんな中、一日だけ容態が安定した日があって、夕方自宅に帰ることになりました。

親父またここで一言「帰ってる時に、なんもなければな・・。」

的中した・・・。

自宅就いたと思ったら、即電話・・。容態急変したと・・・。


その日が、最後でした。もちろん間に合いました。親戚の人たちも・・。

死が近くなる間際、ずっと手を握りました。

後悔しました。たぶん手を握るのは、小学校の入学式以来久しぶりだったから・・・、何でもっといっぱい手を握らなかったのだろうと・・・。

あの手の感触は、忘れてません。そんだけ後悔したから・・。


そして、息も絶え絶えしくなるころ、親父が「もう無理すんな、楽になれ」と声をかけ、見守る中深く2回息を吐いた後、あの世にいってしまいました。


あの後2番目の弟は、自分の単車で「帰る」と言い帰ったのですが、先に出たはずの弟より自宅に帰りついたので、たぶんどこかで泣いたんだなと思いました。

肝心の3番目は、9歳と言う歳が「死」に対することがどれだけ、怖いか・・、その先は書きません。俺も小さかったら、そういう状況になるだろうから・・・。


そんな中、ひとつだけ当時の教官からもらった言葉があります。

「悪い言い方かもしれんけど、お前のお母さんはがんばって死んだんだ。だからお前もがんばらなきゃ・・・」って。

この言葉は、母の死の直後だったので胸に響き、この先どうしたらいいか、示した言葉でした。


そうした葬式後、家に帰っては、母の死に現実感がもてず、泣きそうになったり・・・泣いたりの繰り返しが続いたのは言うまでもありません。


今は、親父がまだ生きてることに幸せを感じるが、何もしてやれん自分がはがい~ですww。


とにかく思いついたこと、書きなぞらえ長文になってしまい、申し訳ありません。このブログ読んでくださった皆さんには、沢山親孝行していただきたいと願い思うばかりです。


                                               以上。