平成のある夜、
ロックとドラムをこよなく愛するバンド猫は、
昨日ライブハウスで偶然手に入れた謎の紙片を、
誰も居ない音楽練習室で、
1人口に含んだのです。






①紙ペロリ

なんだ、意外と小さいな。
こんなんで何か起こると思えないな。









②カムアップ

ガビガビ、ソワソワ。
何か変。
楽しいのかな、不安かな。
今どれくらい経ったっけ。







③どピーク

これはたいへん。
大洪水。
いろんな何かが頭に浮かぶ。
頭?頭ってどこだっけ。








④ピーク第1波〜2波の間、"凪"みたいな時間

おおきな波が落ち着いて、
少し考えられるようになってきたぞ。
いつもと何が違うのか、考えてみよう。
ふだんは確か、こうだった。










⑤"凪"の間に思った事1

そうか、本当はただ「在る」だけ。
普段は気にしなかったけど、
「在る」を「見る」のに
結構脳みそ使ってたんだ。









⑥"凪"の間に思った事2

何かあるのにわからない。
思い出し方もわからない。
これって結構こわいかも。









⑦ピーク第2波〜

もうなんにもわからない。
一旦"どこか"に掴まらないと、
このままぐるぐる流されてって、
もどって来られないのかもしれない。







⑧ピーク第3波〜第4波→オフセット

確かなもの、基準になるもの
"掴まれるもの"
どこかにないか?
時計はダメだな、読めないから。
音楽はダメだな、理解できないから。
ドラムはダメだな、うるさいから。
外に在るものはだめかもしれない。
じゃあ自分の中に何かあるかな?
何もわからなくても感じられる、
自分の中に確かに"在る"もの。








⑨着地

あった!!









⑩トリップを終えて








⑪この旅にタイトルを付けるなら











【解説とあとがき】

注1:昔は猫しか描けなかったんです。
注2:英語は今も苦手です。



[①〜③:人生初のピーク]
「人生初」って特別ですよね。
どんなに衝撃的な体験でも記憶はごっちゃになったり薄れたりするので、この特別な一回を書き残しておいてよかったと心底思います。
ある程度経験を積んだ今ではカムアップ〜ピークの最中で「ああ、今この辺りか」みたいなのがわかるのですが、当時は何もわからない。
そんな「わからない事」が洪水のように押し寄せてきて頭も身体も「わからない」一色に染まって行きました。
当時、大麻の経験はあったので「わからない」に飲まれてパニックに陥る事は避けられたのですが、
予備知識も薬物経験も無い人が初めて食った紙で発狂するのは全然あり得ると身を持って知りました。
ハームリダクションは大事ですね。

ところでTwitterにこのレポートを載せた所、フォロワーさんが③に「左上の文字群、西夏文字か契丹文字のように見えますが、何故それを書いたのですか?」とリプをくれて非常に驚いたのを覚えてます。
あれは西夏文字と言って、1032年〜1227年くらいまで、現在の中国とモンゴルの間ら辺に存在したタングート(西夏-せいか-)という小さな国の文字です。
「何故か?」と問われれば本当に「何となく」としか言えないのですが、自分でも気になったので頑張って自己分析してみる事にしました。

個人的に「言語は思考を形作る」と思ってます。
なので「"アイデンティティ"とは言語に立脚するものである」と考えるわけです。
その"アイデンティティ"つまり「私」がアシッドによってバラバラになって行く様を、歴史の大渦に呑まれてバラバラになってしまった文字、ひいては思想、文化に重ねていたのかもしれません。

因みに東洋思想においては「アイデンティティなんて物は存在しない」と考えるそうです。
その辺りも(東洋の文字ですし)因果みたいなものを感じます。





[④〜⑥:哲学とサイケトリップ]
当時、ファッション哲学を拗らせていた私は20世紀のフランスの哲学者J・P・サルトルの「実存主義」に雰囲気で傾倒してました。
「実存は本質に先立つ」とか「自由の刑」とか頭良さそうで格好いいですよね。
そうして中古の本を買う→本を開く→「何言ってんだ?イカレてんのか?」→本を閉じる
を繰り返してました。
一生懸命文字を目で追うのですがさっぱり意味がわからない。
でも良いんです。
「難しい本を読んでる自分かっこいい」が全て。
大切なのは雰囲気です、雰囲気。
きっと読者の皆様にも音楽や映画で同じような経験があると思います。
ありますよね?
あってください。

それが1枚の紙片により奇しくもサルトルの小説「嘔吐」の中で主人公が見舞われた「エポケー」という現象を全く偶然に追体験する事となりました。
エポケーとは中止とか中断といった意味の古代ギリシャ語で、「判断中止」等と訳されます。
普段のように「物を見る」のと、
見えてる物の付加情報の処理を中断して
「ただ"在る"と認識する」のはえらい違いでして、
それがレポートの④と⑤です。
皆さんも紙やキノコで一度は経験したのではないでしょうか?
これがわかった時の感動は凄まじくて、
「これに素面の頭で辿り着く哲学者ってすげえな!!」と本腰入れて哲学にハマりました。
ちなみに私は後日「サルトルはメスカリンでぶっ飛んだ経験から嘔吐を書いた(諸説あり)」と知り落胆するのですが、いやそれでも凄いですよね。

サイケをやる人ならこの実存主義や、それの元となった現象学(フッサールやハイデガー)にはきっと面白さを感じると思います。

西洋哲学は続き物の大作漫画(例えばワンピース全109巻)みたいなもので、1巻から読まないとよくわからないんですよ。
そんな事も知らずに突然サルトル(ワンピースで言うと70巻辺り)を読み始め「何言ってんだ?イカレてんのか?」と、そりゃ当たり前なわけでして。
以降は哲学史や〇〇解説とかを読み、今ではやっと原著を読んでもほんの少しくらいはわかるようになりました。

そういえば、先日ほろ酔いで街を歩いていたら古本屋を見付けたので、
「どれ、たまにはサイケのヒントになりそうな物を」とハイデガーの"存在と時間"という現象学のバイブルみたいな本を手に取る→本を開く→「何言ってんだ?イカレてんのか?」→本を閉じるを久しぶりにやりました。
いいんです。
大切なのは雰囲気です、雰囲気。
相変わらず私は雰囲気で哲学が好きなようですね。



[⑨:基準]
ご存知の方も多いと思いますが音楽では曲のテンポを決めるBPMという指標があります。
これはざっくり言うと1分間に何回音が鳴るか(beats per minutes)で、
例えば時計ならbpm60、
テクノは110〜130くらい、
サイトラで150くらいです。
基準は音楽の授業で使ったメトロノーム。
これで簡単にわかります。
ではメトロノームの発明以前は何を基準にしてたの?と言うとですね、これ最近知って震えたんですが心臓の鼓動らしいです。


[おわりに]
何だか出来すぎなくらい豊作な初トリップでしたが、これが所謂ビギナーズラックというものなのでしょうか。
以降のトリップはこういう豊作旅もあれば言葉では説明出来ない神秘や狂気の旅もありますが、
殆どは「うわあーグニャグニャだあー!」とか
「うわあー!音楽やべえー!」とかです。
それにしてもアシッドってすごいですよね。
本当にアレ何なんでしょうね。
細かい現象1つ取っても
「それが何なのか」
「何故そうなるのか」
「それに何の意味があるのか」
ちゃんとわかってないのが殆どですよね。
生きてる内に全てが解明される日は来るのでしょうか。
世界はまだまだ不思議だらけ。
ワクワクします。



最後に、最近相互さん達のとても痛快な会話を見かけて、それが凄く好きだったので記しておきます。



「サイケトリップにおける統合とは何か?」
「全然わからない、俺達は雰囲気でサイコノートをやっている。」