【質問】

こんばんは手羽院さん。

2年前のある旅で、言葉では形容し難い、簡潔に言うと"世の中のグロさ"的な考えが身に染み付いてしまいました。

暫く素面で生活して時間が経てば治るかな?と思っていたのですが未だにその考えから抜け出せません。


一度よれたヤツはもう手を出さない方がいい、と何処かで聞きましたが、ある種トラウマ的になってしまっている2年前の事と再度向き合うためにも、もう一度旅に出るのはどう思われますか?

ご意見聞かせていただけると嬉しいです。





【手羽院の回答】

こんにちは。 

"世の中のグロさ"ですか、

何だかわかるような気がします。

 私も似たような事でバッド入った事がありまして、質問者さんのケースに役立つかはわかりませんがお話させてください。


私の場合はその「世の中のグロさ」でバッド入るようになった後も行き続けてたのですが、

そっちの方向は見ないように!

考えないように!!

楽しい事だけ考えるように!!!

時には他のドラッグとカクテルして強制的にバッド入らないようにしてました。


 要するに問題からの逃避ですね笑


本来であれば 問題には向き合って、

自分なりの答えを見つけて、

消化するのが一番良いのですが、

答えは人それぞれだし誰も教えてくれないので、

それには長い長い時間と努力と苦しみが伴います。

めんどくさいですよね、

すごくエネルギー持ってかれますし。


逃げてほったらかしとくのが一番ラクです笑

しかしある程度時間が経つとその問題に触っても痛みを感じなく(或いはマシに)なるので、

私はそのタイミングで「どれ、1つ分解してみますか」と手に取ってみる事が多いです。


 そんな感じでバッドの原因になっていた「世の中のグロさ」をバラして、分析して、咀嚼して、自分なりの理解を得る(問題に向き合って自分の意見を持つ)プロセスはこんな感じでした。

          ↓


「世の中=社会」は人類が長い歴史の中で作り出した「生存のためのシステム」で、良い面もあれば悪い面もありますよね。


 昔仕事でこっぴどく精神をやられていた時期がありまして、

当時は「金が稼げないやつ=弱者とみなされて虐げられるのに、その"弱者"(搾取の構造)無くしては成り立たない資本主義社会の矛盾とグロさが心底気持ち悪いしクソだ!!」と思ってました。 

(かと言って他の政治思想に傾倒していたわけでもありませんが)


そうして仕事をやめて少し引きこもってみたり、

手元に少しだけ残ったお金で放蕩の旅に出てみたり、

失業手当で酒を飲み歩いたり、

いよいよお金が無くなってアルバイトを始めてみたり、

そんな調子で社会から逃げたり、戦ったり、また参加してみたりする内に考え方が柔軟になりました。

「多角的な視点で物事を見る」と良く言いますが、視点は立つ場所によって変わりますね。

労働者、無職、路上の酒飲み、求職者etc

それぞれの立場から社会を見てみると

嫌な上司がいたり、心配して食事を奢ってくれる人がいたり、ただ面白いだけの人もいたり、セーフティネットのありがたみを再認識したり、

そんな感じで最終的に、

「世の中=社会は決して完璧ではない。けどそれなりに良く出来てる。」

と思わずにはいられなくなりました。



さて、

トリップはセットとセッティングが重要です。

少し乱暴にざっくり説明すると、

セッティング→外部環境(場所、音楽、一緒にやる人、服装etc)

セット→内部環境(マインドセット)つまり精神状態

みたいな感じです。


 私は上述の様に

問題発生(痛み)→怖い→逃避→放置→痛みがやわらぐ→向き合う→社会理解が深まる→問題に対して自分の意見を持つ→解決はしてないけど"痛み"は感じなくなる→怖くなくなる

というプロセスを経てマインドセットが変化しました。

つまりライフイベントによるセットの変化ですね。 


この「"セットの変化"を待つ」という意味で、質問者さんが2年トリップから離れたのは正解だと思いますよ。 


私事ですが、

今思えば「待つ」という受動的な態度だとセットはなかなか変化しなかったので「社会のグロさ」について引っかかる物があるのであれば、周りの人の話を聞いてみたり本を読んだりして徹底的に考えてみる能動的な態度が必要だったのかもしれません。

それは1つ反省点です。

でも問題の痛みで精神やられてる時にそんな風に動くのは不可能ですよね笑

「もしまた同じような問題に直面したら次はもう少し器用にやれる気がする」

そんな風にゆるっと考えてます。



 「もう一度旅に出るべきか?」

 これは質問者さん自身が決める事なのでアドバイスではなく「こういう意見もある」という雑談的に捉えて欲しいのですが、 

素面で徹底的に向き合って"答えのような物"を掴むとそれを確かめるために行きたくなりますね。

 また二年前だと結構時間が経ってるので問題自体を明確に思い出せない、それを思い出すためにもう一度行きたくなりますよね。

 質問者さんはおそらくですが今こんな感じなのかな、と思いました。 

私の信条の1つに「サイケは食いたい時が食い時」というのがあります。 

根拠も仕組みも説明出来ないのですが、

明確に「行きたい!」と思ったらそれが行き時だと思ってます。
ただし、それは楽しいトリップを保証するものではなく全然怖い目に遭う事もあります。

 でも何か手掛かりを掴めるんですよね、少なくとも無駄になった事はありません。

 サイケの摂取は手段に過ぎず、大切なのは自分の体験と、そこから見出す答えです。

 と、私は考えております。


 質問者さんが良いサイケライフを送れますよう心から願っております。