出産記録②
朝を迎えてもNSTは持続してました
間隔は変わらずで6分くらい
まだまだ、我慢できるくらいでした
3割くらいは朝に落ち着いて帰る可能性もあると
言われてました
相変わらず絶飲食だったのと
しかも、手術の準備で太い点滴の針を入れたり
剃毛したりしてたので
私としてはもぅ出産したかったのでした
陣痛室から一度MF-ICUに移りNSTも
終了して少し寝ようとしてると
先生が来たので今日、出産したいと伝えると
9時頃の一番で帝王切開の手術する
準備をしてるよと!
決まったんなら早く教えてよ
旦那に連絡して、早めに息子を保育園に
預けてもらい病院に来てもらいました
手術中は誰か院内にいないといけないルールがあります
コロナの影響で面会は家族1人になってました
8時40分頃、最後にトイレにいって
ストレッチャーで手術室に向かいました
ストレッチャーでの移動は慣れないものですね

手術室に入る前に名前確認をされて
申し送りの後
手術室へ
抗生剤の投与もされてました。
手術室ではドリカムが流れていました(笑)
そんな中、麻酔科医が背中にまずは
硬膜外麻酔をいれようとしてましたが
これがまた、入りません
前回は3回失敗されて失敗される度に
足に痺れがありまた陣痛もあり大変だったので
今回は麻酔外来で1回でいれて欲しい!
2回失敗したら変わってくださいと伝えました
前回は脊髄が漏れてブラッドパッチまでしていたのですが今回もなる確率が一度なってる人は高いも言われてました

そんなこともあり不安で何度も1度でお願いしますと手術室にはいるなり伝えてました
30分くらいかかりようやく入りました!
腰痛麻酔はすぐに入り、冷たいものでどこまで麻酔が効いているか確認されました
胸の下くらいまで効いていました
そうするとなんとも言えない感覚ですよね
足はダランとなってました。
産婦人科医達が現れて、体勢や手術の準備を進めていました
3月23日
あの日から4年が経ちました
結婚する前からずっと、
子どもが欲しかった私
旦那さんと婚約してから妊活を開始
なかなかタイミングじゃできず
その後結婚し、1年後に
不妊専門の病院にかかりました
20代後半と言うことで病院の先生も
まだ検査しなくてもいいのではと言う感じでした
でも、どうしても早く子どもが欲しかったので
一通り検査を受けました
多嚢胞性卵巣や高プロラクチンなど
少しずつ子どもができない要因が出てきました

内服を始めるか悩んでいる時に
まさかの自然妊娠
子宮内に胎嚢を確認でき、その後も成長は遅いものの心拍も確認できました
このまま成長していくのかなと思っていましてがある日、出血と腹痛があり
緊急でかかった病院で心拍の停止を伝えられました

悪阻も心拍停止後にはなくなりました。
後日、手術をしました
それが3月23日です。
もぅ妊娠しても毎回流産するんやないか。
どうして、私が流産になってしまったのか。
その後、夜には毎日ベッドで泣いてました
1人目を妊娠した1年後、
タイミングから人工授精へステップアップを
しようかと考えていた時に
また妊娠できました
同じ月に妊娠したので
一年前の子が帰ってきたのではないかと
ずっと思ってました。
しかし出血がある度に流産がよぎり
不安な日々をすごし
また切迫もありほとんどの人には妊娠は
伝えずに出産をしました
2人目はまさかの自己流タイミングで
すぐに妊娠できました!
内服もなにもしてなかったのに
なぜって感じでした

そして、予定日が3月23日❗
命日と一緒
なんだかとても嬉しくなりました

流産した子がこんなに次に生まれる子になんらかの関係が有るなんてなんだか見守ってくれてるのかなと思いました
上記は私の個人的な考えです。
2人も出産できた喜びを忘れずに、
命日には可愛いお花を飾って
お祈りできたらと思います
出産記録 ①
忘れてたので追記になります。
子宮口はまだ、そんなに開いてないので
緊急で帝王切開をするほどではないと
私も帝王切開するなら日中がいいと思っていたので先生の判断に同意しました
体重と血圧を測って手術着に着替え産褥ショーツに履き替えました
NSTを取り付けました
やっぱり6分くらいで陣痛が来てましたが
全然我慢できるくらいでした
しかし眠ることはできませんでした
次に剃毛をされ、点滴を投与するということで
看護師さんが2回刺しても無理で
医師に交代
医師も3回刺してようやく入りました
手術なので針は太いのですがこんなに
失敗されるとは
無事入り点滴スタート。
緊急の帝王切開の可能性もあるとのことで
絶飲食になりました。
もし、このまま陣痛が落ち着けば
自宅に1度帰るかもとも言われてました
ここまで準備しといてそれはなくないかな?
と思いつつ‥
朝まで多少の痛みに耐えて寝れずに
朝を迎えました

