久しぶりにブログを書いています。

釧網本線の「SL冬の湿原号」の撮影記から1週間以上経っており、何せ無精で釧網本線撮影後、どこにも撮影に行っておらずネタが無かったものです。

 

 

突然の話しになりますが、私が蒸気機関車に目覚めたのは中2の1972年9月、羽越本線電化(1972年10月2日)の直前でした。

その頃、課外クラブでは写真部に入っており、秋の「文化祭」に蒸気機関車の写真を撮ってきて展示しようとなったことがきっかけです。

 

「文化祭」(1972年10月9日「松任谷由美のじゃこびに彗星の夜」の日でした。)は何とか成功、しかしいつも近くを走っていた羽越本線のD51やC11がいなくなって寂しい気持ちの中、これら蒸気機関車の冊子に出会ったものです。

 

上左  「汽車がゆく、だから僕も」  関沢新一 氏

上中  「蒸気機関車の旅」      広田尚孝 氏他

上右  「動輪の響き」        長谷川宗雄 氏

下左  「SLダイヤ情報」

下右  「鉄道ジャーナル」(1972年12月号)

 

写真にはありませんが、キネマ旬報社の季刊「蒸気機関車」も絶対に外せないものです。

なお、上記の「動輪の響き」は当時、この季刊「蒸気機関車」に連載されており、後日、冊子になったものです。

 

この中から、(「鉄道ジャーナル」(1972年12月号))のタイトル「特集 花道をゆく蒸気機関車」を、もしよろしければ次から紹介させていただければと存じます。

今回はタイトルと写真のみ、最初の記事は「会津旅情」でした。

本日もありがとうございました。

 

 

お身体、大切にしていってください。