以前から気になっていた豊橋鉄道田口線の廃線跡ですが、一通り用事が済んだ事もあって廃線跡巡りに行きました。
まずはスタート地点として飯田線の本長篠駅から、ここから田口線の起点として開始。
本長篠駅
本長篠駅から少し東に向かった所に田口線との分岐点と思われる場所を発見、現地に向かう前にGoogleマップ上で明らかに廃線跡の様な線形をしていたので捜索の対象として加えました。
飯田線と田口線の分岐ポイント
ここから飯田線から離れて田口線に向かう線路が有ったようですが、残念ながら面影すら無く特に飯田線寄りの所は既に民家の駐車場に変わっていました。
しかし北側は線路こそ無いもののかつて線路が存在していたという線形が遺されています。
更に北上すると河津桜並木がありますが、ここもかつての田口線の線路跡です(残念ながらシーズンは過ぎていた)
北側には鉄道用のトンネルが現存している。
このトンネルを抜けてすぐは線路跡が残っていましたが途中から寸断されていたので一度愛知県道32号線に合流して少し北上すると橋梁跡が残っていました。
県道32号線沿いに今でも遺る田口線の橋梁跡
更に32号線を北上して少し外れた所に田口線の築堤が残っていました。
今では只の廃線跡でしかないですが、現役線であればこんな感じの構図で撮っていたでしょう。
この築堤の先にあるトンネルを抜けると三河大草駅に到着。
三河大草駅
ここに駅があった事を証明する看板
当然ながらこの駅は途中駅なのでここから南側に進みましたが、残念ながら荒れ地で進むことは叶いませんでした。
先ほど通った築堤の北側にも少しだけ線路跡は残っていましたが、一つ目のトンネルを抜けて二つ目のトンネルの手前までしか行けませんでした。
因みにこの場所で愛車と撮影
ここから先の線路跡の捜索は困難なので一旦県道32号に戻って北上し次の駅である鳳来寺駅跡に到着。
恐らくこの辺りに駅は存在してたと思われる、現在の駅跡はバス停として生まれ変わっている。
ここから次の信号機までは線路跡に沿って県道となっていて信号機の辺りから先はサイクリングロードとして整備されていた。
当然バイクで捜索中なのでサイクリングロードの走行は不可能だったが迂回して次の駅である玖老勢駅跡に到着。
当然ながら駅が存在していた痕跡は残っていないもののこの通り線路跡はサイクリングロードとして生まれ変わっている。
ここを後にして更に県道を進むと再び田口線の線路跡と合流、次の駅である三河大石駅跡に到着。
ここも線路跡は県道として生まれ変わっており駅はバス停となっている。
更に県道を北上すると途中の交差点から県道を外れる形となって田口線の線路跡へ再び向かう事に、ここからは道路として生まれ変わった様子が良く分かる。
勿論トンネルも健在である。
普通の一般道と異なり鉄道跡地は緩やかなカーブを描いている事が良く分かる。
廃線跡地を活用したトンネルを望遠で撮影
当然ながら駅の痕跡は何も残っていない。
ここも駅の痕跡は残っておらず生活道路として生まれ変わっている。
ここから先も同様に県道として整備されていて線路跡は残っていなかったが大半は線路跡に沿って県道が通っているのでそのまま北上、次の駅の田峯駅跡に到着。
この北側にはトンネルが存在しているが、かつての田口線の物かは不明。
更に北上する形として次の駅である長原前駅跡に到着するはずだったが、残念ながらこの駅付近は結構前から土砂崩れで通行止めになっていた。
この土砂崩れ自体道路に転用した後に起きた物らしく、仮に土砂崩れが無かったとしても駅自体が1968年8月29日の土砂崩れに遭っていたので既に現存しない物と考えられる。
ここから東に進んだ所に清瀬駅跡に到着。
ここよりも本長篠寄りに新しく開駅した「道の駅したら」が存在している。
この道の駅にはかつて田口線を走っていたモハ10形電車が静態保存されている。
この駅よりまだ先に線路が続いている様ですが、残念ながら設楽ダム建設の影響で線路跡は途中で通行止めになっていてここで廃線跡捜索は容赦なく終了する結果となった。
この先にある三河田口駅は残念ながらダム建設で水没する事が決定しているのでもう二度と行く事は不可能のようだ。
通行止めは仕方ないので取り敢えず最後に愛車を撮影。
これにて豊橋鉄道田口線の廃線跡捜索は終了、初めての廃線跡捜索であったが取り敢えずトラブルも無く終了する事が出来て良かったと個人的には思う。




















