2011年3月14日(月)

原発の炉心がむき出しになり空炊き状態に!
というニュースを聞き、家にいては危ないと旦那が言い出す。

少しの着替えと食べ物と、毛布、猫の餌とペットシーツ、
猫達をキャリーバックに入れ、夜、ストリームで家を出る。

とにかく内陸の方へと、白河方面へ車を走らせた。
途中、古殿あたりのセブンで食べ物を買い、もう少し先の
セブンでおにぎりを買った。

白河に着いたものの、ビジネスホテルは閉まってるか
満室。漫画喫茶に飛び込んでみた。
なんとか車中泊はまのがれた。
猫達は車の中。でも毛布があったから大丈夫だったみたい。

白河でも余震があるからやっぱり眠れない。


2011年3月15日(火)

朝になり、漫画喫茶を後にし、再びホテル探し。
でも結局駄目で、漫画喫茶に戻ってきた。
ニュースを見る限りいわきに戻るのはまだ不安なので、
カフェのご好意で夜料理で、居させてもらえることになったのだが、
しばらくして本店から連絡が来たのか、
「今日の15時で店を閉めることになりまして、
その後しばらく休業に」
ということで、出なきゃいけなくなった。

白河もガソリン不足が深刻化していて、大渋滞。
ガソリンを入れることが出来ないまま、
棚倉や塙方面まで行くが、泊まれそうなところがない。
とうとう茨城まで来てしまったが、茨城はライフラインが
いわきより酷い状況。もちろんガソリンもない。

原発の方も危機的状態からちょっと抜け出せそうな気配
だったので、いわきに戻ることにした。

ガソリンぎりぎり、無事に帰ってこれた。
自宅に帰ってきて猫達もホッとした様子で寝てます。
まだまだ余震もあるし、原発のことも気になるので、
みんなでリビングで雑魚寝です。


2011年3月16日(水)

雨の一夜が過ぎ…

原発がまた危ない!
でもストリームにはガソリンがない!
もう一台の軽自動車で、新潟へ。
といっても新潟にあてがあるわけでもない。
ただ会社の後輩の実家が新潟で、新潟ならガソリンも食料の心配がない。
磐越道も通れる。そんな情報だけしかなかった。

軽では狭すぎて猫を連れていけない。
やむなく猫達は、餌と水をたっぷり入れて家に置いてきました。
私にとっては子供同然だから、気が気じゃなかった。
餌は震災の日の午前中、買って来たばかりだったから
それを全部入れて、お水も洗面器にたっぷり入れた。

新潟は雪の予報も出ていたし、寒い車の中で
何日も過ごすより、住み慣れた家の中の方が
猫にとってもストレスにならず、いいだろう。

福岡に帰省したりして留守も慣れてるし、
3匹でいれば、寂しくはないだろう。

泊まるところが見つからないかもしれないから、
車中泊になっても大丈夫なように毛布も積んで、
14時頃、高速に乗った。

天気は良かったが、雲が異様にモクモクしてて、
夏によく見られる積乱雲とはまた違う雲が広がっていた。
逆に気持ち悪いくらいだった。

しばらくパトカーに先導されるかのように走って、
磐越道安達太良SA。
通り過ぎようかと思ったのだが、ガソリンを入れる列を見て、
バックしてSAに入った(笑)ホントはやっちゃいけないんだけどね。
SAに入る頃は、ちょっと後ろを走ってたパトカーも
ガソリンの列に並んでた!
ガソリンはまだ結構あったので、満タンに入れてもわずか9リッター。
でもこれで一安心。

猪苗代辺りから雪が降り始め、次第に吹雪のようになってきた。
しかし新潟に入ったら雪は降ってなく、晴れていた。
私はずっと携帯でホテル探しをしていたのだが、空いてるところが
見つからない。
新潟JCTに近づいてきた頃、ラジオで避難してきた人の為の
宿泊案内しているところの電話番号を聞いた。
手前のPAに駐車して電話をし、案内された旅館へ向かった。

磐越道から日本海東北自動車道に乗り、新発田市の月岡温泉へ。
向う途中、雪も降ってきた。
まだこの頃、旅館などでの援助は極一部しかなかったのか、
私達が行った旅館では、普通にお金を払うしかなかった。
思いもかけない金額が飛んで行ってしまうが、
仕方ない。貯金を使おうと。

震災以来6日ぶりのまともな食事にお風呂。
新潟でもたまに余震があったが、いわきにいる時ほどではない。
ゆっくり布団に寝ることもできた。