人間っていうのは本当に弱い生き物だ。何かしらが原因となって、孤立、不安、恐怖といったものを感じた時、どれだけ「」を信じ貫き通せるというのか?結局、「自分自身」なんてのを信じられる時というのは、それに応じた「環境」が必然となっているのは否めないはずだ。

だから周囲の「環境」を整っていなければ、心底不安や恐怖なんてのが津波となって襲来して、人間は「神」や「運命」なんていうものに頼ってしまうのだろう。所謂、「ワラにも縋る思い」ってやつだ。

今回の俺とて同じこと。俺だってただの凡人。街の流れに飲み込まれ、友との語らいの時間も失くし、「運命」に縋った「アルバイト」にも振られて、心の中が不安という水で一杯になり、その中で溺れていた。

息苦しさで悶えながら、俺は必死に「ワラ」に縋った。それは、俺から「ギャンブル」を取り上げる代わりに「宅配の仕事」を与えてくれた。


初めの一週間は慣れていないこと続きで、苦痛と苦渋の日々だった。未だなお、その苦渋は癒しきれていないものの、どうにか苦痛だけは感じなくなった。これが良い傾向なのかはは定かではないが…。

しかし、

 

与えられた「環境下」で

      自分がどれだけ頑張れるのか?

 

というのが、今の自分にとっては最低限の第一歩だと思う。そして、そこからSTEPUPすることを考えなければならない。現在の俺はまず一歩踏み出すこと、まだその段階だ。今はそれだけでも問題は山積みだけど。

自信消失」なんて言葉が嫌というほど口から洩れる。「最悪」って思いが頭から離れない。

 

周りの全ての人間が疎ましく見える。それでも俺は孤高に生きなきゃいけない。今の自分には巨大な力の前で平伏すのではなく、泣き寝入りするでもなく、ただただ耐え忍ぶことが大切だから。


押忍」の心持でいるということ。報われぬ人生の中で、「耐え忍ぶ」ということは、実は一番滑稽なことなのかもしれない。だけど、「押忍」の境地を維持してチャンスを得なきゃ、結局何一つ達成でいないのではないだろうか?

独りぼっちの日々、憤ることばかりで「やさしさ」や「温もり」とは無縁の中で、おのが歯を砕かんばかりに、歯を食いしばって。ちっちゃな捻くれたその瞳は世を果敢なみつつ、それでもなお必死に生き続ける。夢を腕で抱きしめだながら…



怒りを殺して「押忍」
悲しみを殺して「押忍」
俺はこんなところではくたばらん。
夢をその手に掴むまでは…