私の住む羽曳野市には、多くの古墳があります。
羽曳野市から藤井寺市にかけて巨大な前方後円墳が集中して造られた
東西4km、南北4kmのエリアを古市古墳群と呼んでいます。
この古墳群は、墳丘長400mを超える応神天皇陵古墳から一辺10mにも
満たない小型の方墳まで130基の古墳で構成されています。
4世紀の後半から6世紀中頃にかけて約150年間に造られました。
羽曳野市では、堺市の百舌鳥古墳群と共に世界遺産登録をめざしています。

<来目皇子御陵>
羽曳野市はびきの3丁目
生年不詳、聖徳太子の弟。
推古天皇10年(602年)
新羅征討計画の際、征新羅
大将軍として軍を率いて
筑紫の国に屯営したが、
病のため薨去。
河内国埴生山岡上に葬られた。現在は羽曳野市はびきの3丁目の
塚穴古墳に比定されている。
塚穴古墳は羽曳野医療
センターに隣接する場所で
民有地に建築工事が予定
されていたので2006年に
外堤の発掘調査が実施された
その結果、石舞台に匹敵する
規模であることが判った。
当時の大王や最有力者の
墳墓に匹敵する規模をもつ故、来目皇子の墓とみなされたらしい。私も、新聞記事を見て現地見学会に行ってみた。素人には物珍しさだけで、何もわからなかったが、何世紀も経てこのようなものが発見されることに不思議な気持ちになった。
<大和武尊白鳥陵>
羽曳野市軽里
第12代景行天皇の子、
第14代仲哀天皇の父に
当たる。武勇に秀でていたが、
気性が激しく、兄を殺害して
しまったため、父に疎まれ、
熊襲の討伐を命じられる。九州、中国地方の平定を達成。すぐさま、東国の平定に向かう。
日本武尊の伝記は、古事記、
日本書紀をもとに映画、
アニメ等で広く知られている。
最後は、三重県で亡くなるが、
御陵を造って弔い、歌を
読み上げたところ、白鳥となって
飛び去り、羽曳野市古市に降り立ったという
<白鳥神社 >
羽曳野市古市1丁目1-18
日本武尊、素戔嗚命、
稲田姫命を祀る。
元は、軽里の西方の伊岐谷に
ある白鳥陵の頂に鎮座し
「伊岐宮」と呼ばれていた。
南北朝・戦国の兵火により
衰微し、峯ケ塚古墳の頂の
小祠として祀られてきたが、
慶長の大地震で倒壊し、放置されていた。
天明4年古市の氏神として現在地に移された。
オトタチバナ姫の話等、古事記、日本書紀を