三年前にあの子がくれたメッセージ。
今、知らずにメールを開封して読み返している。

今、やっとわかった。
どうして、あの頃の自分はその後に訪れた物質的な豊かさを代償と思ったのか?

私は代償がなければ、祖母を最後まで看ることはなかったのか?
また、祖母の罪悪感があったから祖母を最後まで看たのか?

そんなわけがない。。。愛する祖母が少しでも楽になれたと思って、
ただ、ただ、介護したのだから。。。

そこを他の家族の事情やそのころのコロナに影響を受けた社会事情によって、
肉体の限界を迎えたときに、その3か月間を被害者意識で受け取ってしまった。
悲しい。

また、祖母に良かれと思ってした行為が祖母の身体に負荷をかけたかも知れないことに、罪悪感をいだき、あの頃も悲しみと怒りの感情の中で、何も見えなくなっていたのだろう。

無償の愛。。。
ただ、それだけだった。
祖母へも、母へも。
求めるものは何もない。

その時の母が、昨日の親戚さんに重なる。
「役にたつわけじゃないのだから、母さんが逆に倒れられると困るから。。。」
何度も言ったのに、
自分も大病を何度も経験してフラフラになりながらも、
最後の2年間祖母と同居し、祖母の終末期には何度も祖母を思って、夜中起きてきた母。

母の祖母への無償の愛だったんだね。

私は?
そこに代償を求めてなんかいない。
何もいらないから、二人が少しでも苦痛を感じることがないように。。。

少しでも安らかに過ごせるように。。。

ただね、自分が役立てるなんてことは、私のエゴが見た世界だったんだよ。
今となっては、良かれと思って。。。精神が余計に、二人を苦しめた。

そして、また、その思いもエゴが作った世界なのだろう。
エゴでしか物事が見れない私の世界。。。
いつまで、続くの?

今となってはできることは、祈りしかない。
二人がどこの世界にいても幸せでありますように。
例えエゴだらけの自分の願いが、届いても、届かなくても。
そして、不安がつき纏えば、祈りさえしない方が、いいかもしれない。

そして、自分がどん底に落ちて感じた感情の囚われによる苦しみ。
もう誰一人として体験しませんように。
宇宙における全ての存在が幸せでありますように。