母の面会に施設に行く。
母は優しい笑顔で迎えてくれる。
母さん、ごめんね。
ポンコツの私は、今は手を握ることしかできないよ。
弟が「笑顔で来てくれるだけで、うれしいんだよ。」
と話すが、弟のかわりに、毎日数時間、心からの笑顔で、母の隣に座れる日は来るのだろうか。。。
「職場から、復帰はいつまでも待つと言われているけど、みんな困ってて。。。」
戻りたいんだね、わかってる。
でも、弟よ、ごめんね。
今の私は、母を傷つけるだけ。

実家に戻ると、母の見舞いに来てくれた高齢の親戚などが
数日寝泊まりして、在宅介護していた時より息ぐるしい空間となっている。
私の寝床は母の衣服であふれた納戸化した部屋。
ドアを開けて寝ても、物が溢れて、苦しい。苦しい。苦しい。
母は何にそんなに執着していたんでしょう。。。

親戚。。。
見舞いに来てくれているのはいいが、親戚の食事等の対応は弟がやっているようで、
弟が母に付き添っていてくれる間、夕食は何とか私が用意する。

野菜を茹でて、出来合いのものを更に盛るだけ。。。
でも、ぐったり疲れる。

そもそも、母の食事の用意ができないから、母に施設に入ってもらっているのに、
なんで、私が親戚の食事の提供をしなければならないのだろう。
そして、この人は、いつまでいる気なのだろう。

「お母さんが寝たきりになったのは、あなたのせいじゃないの。
優しいすぎるわ~。いつまでも、落ち込まないで。。。」
「笑顔で側にいてあげるだけで、いいんだよ。お母さん喜ぶよ。」
「私を頼んなよ。いつでも、また来てあげる。」

「できたら、やってんだわ!」
「私が母の元に毎日通えるようになっても、私は弟のように、あなたのお世話はできないので、このお金でホテルをとって、タクシーを使って、会いに行ってください」
と、彼女の言葉に、夫の前でキレた。

なんて、最低な私。。。
親戚も唖然としていた。
夫は静かに黙っている。

更に、心の中で『私に甘えなさいって、あなた何やってくれてんの。
ただ、施設に行って面会しているだけ。帰って。母以外の家族は疲れます!』と言っている。

ひどい八つ当たりをした後、彼女は自分であると気づく。。。
彼女は無価値の鏡。
いや、母にとっては私より価値ある鏡。
「すみません。せっかく来てくれたのに、こんなこと言って、
どうかしてます。ごめんなさい。」
せっかく来てくれた高齢者すら優しくできない私。
ほら、また罪悪感。
絶望への切符を自分できっていく。

次の日、弟が「ねいちゃん。。。正直、今のねいちゃん、親戚さんと同じだから。。。感情的になられると、疲れる。。。帰って。。。」と言う。

悲しいのと、責任をしょわなくていい、ホッとした気持ちで複雑な気持ちになる。

その後の弟とのやりとりで、私が母の全財産である通帳どこに保管したか、忘れていることに気づく。

「こえーわ。。。本当に、こえー。。。」弟のさげすんだ言葉。
「死にたいわ。。。」と私。
「そういうのいいから、うんざり。」と弟。
「俺、仕事辞めるから、今、俺しかまともに支えられないでしょ。とにかく、数か月帰ってこなくていいから」再び絶望。。。弟の人勢も絶望。。。

それよか、どうする全財産。。。

夫が「盗まれようがないよ。カードも作ってない。銀行印は別保管。。。
だから大丈夫です。とにかく、今日は自宅に帰って、休ませますね。。。」
と、弟に説明し、グラグラの私を自宅までなんとか支えてくれる。

次の日、まさか。。。と思って、自分の貸金庫を覗いてみると、
母の全財産の通帳があった。
去年の夏、母の病院の面会とゴミ屋敷2軒分の断捨離に明け暮れていた頃に、盗難予防で通帳を移動した記憶が全くないことに気づく。

車で待っててくれていた夫は

「よかったね~。さあ、美味しいものでも作ってあげようか。買い物に行こう。」
何もなかったように、いつもの優しい笑顔。

こんな無価値な私と一緒にいてくれる夫。。。

「ねいちゃん、とにかく休んで完全に治るまで、こっちのことは忘れて。。。」
通帳が見つかって安心した弟からのメール。

そして、施設の看護師さんが「お母さん、血圧が安定してきたので、明日からリクライニング車椅子に乗ってもらってもいいでしょうか。ゆっくり、無理せず行って、最終的にみんなで食堂で食事出来たらいいですね!」と。

再び絶望した後の宇宙は優かった。