るなこが最近のお気に入りの歌、
「小さな木の実」を歌い始めたので
私も合わせて一緒に歌おうとしたら、
「お母さんは歌わないで!るなこちゃんだけが歌うの💢!」
とキレられた。
子供なので音程もはずしまくりだし、
わからない歌詞が違うものにすりかわっていたり(るなこの中では【木の実】が【ドングリ】で確定しているらしい。)、
色々ツッコミどころはあるのだけど、
本人はいつも気持ちよさそうに大きな声で歌う。
私が台所仕事をしようとすると、
こちらに来てちゃんと聴けというし、
歌い終われば
「もう一回聞きたい?『もう一回聞きたいな』って言って!」
と言われることもある。
自信満々だなあ、
大人とは違うんだなあ。
と驚く。
つい昨日感じたことだけれど、
赤ちゃんは生まれついたその瞬間から
自分には価値がある
と信じて生まれてくるんじゃないかなということ。
幼稚園の参観に行くと、
年少などどの子も自信満々、自己評価最高!
自分には価値があり、自分が生み出すものにも当然価値があり、自分が好きなものにも当然価値がある。
そんなふうに思える。
年中年長の全然知らない子でも、「見て!」「聞いて聞いて!」「あのねオレね!」とすごい(笑)
オレの!オレの!オレの話を聞け~♪状態。
【私は素敵だ。
だから私の歌も素敵にちがいない。
だからお母さんはもう一回私の歌を聞きたいにちがいない。】
るなこもきっとそんな感じ。
少し前まで
るなこったら自信過剰~(笑)
って、内心少しバカにしていたけど、
自信満々、自己評価最高って、
凄すぎる。
100。生まれた時に満タンだった自分の価値は
親に虐待されたり、友達に仲間はずれにされたり、先生に否定されたりすると
どんどん減っていくんじゃないかな。
「ちょっとるなこちゃん、『ちっぽけなドングリ~』じゃなくて『古ぼけた木の実~』だよープークスクス((ノ∀`)音程もヘン~(笑)」
とか言われちゃうような
ささいな手抜きリアクションの積み重ねでも。
自殺とかしてしまう時、
その人の中での自分の価値は
限りなくゼロに近くなっているのかもしれない。
現代人は世界中で、
自分以外の何かを優先しすぎて、自分の価値を見失ってる気がした。
相手の気持ちをくんだり、譲る心はきっと
誰かに抑えられて急いで教わらなくても、自然に身に付いていくんじゃないかな。
私の子育てで大事なことは、遠慮を教える前にまず【自分には価値がある】って気持ちを守っていくこと。強く思えるようにすることだ!
そう思った。
私自身が友達と話していて
話の流れで
「そう私には価値があるんだよ。
コロちゃんもだよ。コロちゃんには価値があるんだよ!」
と言われた時、ドキッとして
それからすごく嬉しかったから。
忘れてたような気がしたから。
多分生まれた時、小さい頃に私も
満タンだったからだと思う。
るなこよ、歌え~!
ジャイアンで何が悪い



昨日の朝、トン吉と公園で遊んでいたら、
公園を横切った女性が
「白菜切ったらイモムシがいたのよ。見る
❓」

と黒い小さなイモムシ?を見せてくれました。
女性はそのイモムシを、市から借りている自分の菜園に放してあげるために連れてきたそうです。
私だったら、菜園まで行かずに公園の草地か、家の庭かにぽいっとテキトーに逃がしちゃうなあ。
出かけるついでだったそうですが、わざわざイモムシのおいしい食べ物い~っぱいの菜園まで運んであげるなんて優しい方だなあ、と思いました。
しかも、食べかけの白菜の葉っぱのおまけつき。
元気なイモムシが、育てている他の野菜をさらにモリモリ食べたとしても、その女性は嫌な顔しないんだろうなあ。すてきだなあ。
「大根いる?」
「えっ!」
「まだ小さいんだけどね!ちょっと待って!
はい!有機だから、これ無農薬だからね~葉っぱも食べてね」
と、大根をいただき、さらに
「綿花もいる?開いてないかな。あった!
これ葉っぱつきよ、珍しいわ。」
と、綿花もいただきました。
綿花ですよ~!
綿花って中学の時に社会科の授業で、
瓶に入ったサンプルをみんなで回して見たことあったあの一回きりだったような?
日本で普通に育てたりできるんだ···!
なんとなくアメリカ南部の州でしか栽培されてないようなイメージだった

中の種を5月くらいに撒くと育つみたい。
育ててみたいな~綿花がフワフワで白くて
可愛いので、玄関に飾りました。
来年育てたら、クリスマスリースにつけて雪っぽくするのも楽しそうだね。
イモムシのおかげで素敵な出会いがあり
嬉しい1日でした。