日曜日 ホタルくんのお祖父さんのうちに行った。
昔ながらの日本家屋で
靴脱ぎの真上に ツバメの巣があった。
数日前に雛たちが巣立ったらしく、今は空の巣。
お祖父さんが 長い棒を使って
空の巣をつついて落とした。
すぐにまた新しいつがいがくるので
一番いい場所(その空の巣があった場所)を
空けてあげるためなのだそう。
壊れて落ちた巣の残骸を見て
ツバメの巣は、想像していたより乾燥しているなと思った。
その中に、少し割れて
雛になれなかったらしい卵が1つあって、
割れた穴から中を見ると
当然「カラ」ではなくて なんて表現していいかわからないけど
とにかく「中身」があったので
親鳥も兄弟たちも巣だっていなくなったあとで
ポツンと一つ残されていることを考えると
急にその「中身」が可哀想に思えた。
それでまた、親鳥はどの段階で
この卵は孵らない、と解るのかなあ・・・と気になった。
本能や時間の経過で行動しているだけなのか
もしかしたら理性の働きなのか。
知っていても知らなくても
『あきらめる』というところには
心の活動があるような気がして
すれ違ったけれど、
渡り鳥の親たちのたくましさを感じられた気がした。
次の鳥たちの卵は みんな孵るといいんだけどな。