昨夜、ライブを終えて。

 やはり「こうするべきだった」とか「もっとこう出来たはずなのに」とか、色々と反省が目立ってはしまうのだけど。

 なんだろう、すごく幸せなのだと思う。

 愉しみたいという気持ちを、共に抱いてくれる人達がいて、さらに力を貸してくれる人もいて。

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 毎度感じることは、やっぱり僕は歌うことにもそれほど向いていないということだ。

 写真を撮ることと同じように、歌うことに関しても一定以上の才能は僕に賦与されていない。

 ある程度、自分が愉しんで「こういうようにしたい」と思うようにはなれる。それは写真にしても、歌にしても。

 けれどそれが、他者を持ってして「これは素晴らしい」とか何かの感動を生み出すかというと、果たしてそこまでは、と思う。

 向いていない、というのは時にすごく自分を落ち込ませ、悲しくさせる。

 こんなに好きなのにね、と思ってしまう。好きこそものの上手なれ、とは言うけれどそれは限界がある。限界が見える瞬間がある。そしてその限界を超えている人は、才能を持ちえた人だけだ。あるいは、周りの勝手な才能や思惑により、本人の如何とは関係ナシに動かされる場合くらいで。

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 それでも歌いたい、と思う。愉しいから、そして心を発したいから。

 僕はたぶん、普段はそれほど感情を露にするほうではないのだと思う。分かりやすいけれど、それがどの程度なのかは掴みづらいというか。

 ヘタなのだ。感情を出すことが。

 だからこそ、文章や歌や他の何かを通して、感情を出したくなる。

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 思えば、愛の詩ばかり歌っている。

 歌えば歌うほど心が苦しくなったり、切なくなったりもするんだけど、それでも歌っている。

 人を好きになったり、あるいは別れが訪れたりする度に、そういう歌は出来てくる。嬉しいやら、悲しいやら。

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 またライブをしたいな、と思う。場所も希望はある。

 高田馬場。四谷天窓だ。

 スペースとしても憧れるし、立地も良い。なによりライブハウスでアコースティックをやる東京人は、今はまず憧れるんじゃないだろうか。

 でも天窓でやるには、正直技量が足りない。というよりは、パーセンテージが良くない。

 練習で出来ていることがほぼ百パーセントに出来ていれば、問題ないんだけど、本番っていうのはそうじゃない。

 どうやっても80パーセントにはクオリティが落ちるし、昨日のように体調次第では50以下になってしまうこともあるわけで。

 そうなると、天窓にはとてもとても。

 全体のクオリティを上げるか、出せるパフォーマンスを上げるかしないといけないのだ。

 難しいね。

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 難しいけれど、歌うことが難しいわけじゃない。

 僕はいつも思うのだけれど、何かを想って、何かを感じて歌う詩というのは、それがどんなクオリティであれ、誰が歌ったものであれ、良いものだと思うからだ。

 歌うことそのものはもっとシンプルで、素直で、正直で、そして誰もが愉しむためのものなのだ。

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 今回は、誰のために歌ったのだろう。あの人にであり、その人であり、あるいは来てくれた人でもあり。

 でも。

 歌いながらすごく泣きたくなったのは、誰にも言えなかった。

 幸せでありますように。     arlequin