今日は、少し語りすぎた。相手が話をある程度理解してくれるからかもしれない。それにしても、思い切り語ったように思う。

 僕の発想や理想は、ある意味ではワガママかもしれない。でもそんなワガママすら考えない、あるいは発することができない状況しかないくらいなら、僕はどんなに疎まれようがワガママを言う。

 僕が語る理想は、いつも途中経過であり、同時に最終地点でもある。

 だから、本当はそこに出てくる方法論だとか経済論だとか、あるいは道徳論なんてものはどうだっていい。

 確かなプロセスを心と体で感じることができ、確かな目的を目指すことが出来ればいい。

 たとえば、最終的に理想がかなわなくても、若しくは初めに掲げた理想とは離れた地点にたどり着くことになったとしても、構わないのだ。

 無変化でいることに、僕は耐えられない。それは人としての進化(深化)を拒否していると感じるからだ。

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 「難しいよ」と人は言う。現実的な問題も諸所に挙げられる。もちろんそういう問題に関しては、それぞれに精査が必要であり、いかにその部分を乗り越えることが出来るのかが課題ではある。

 しかし。

 その議論を止める意味はない。議論や前向きな姿勢がないところに、先は無い。

 あらゆる問題や可能性を洗い出し、それぞれについて議論する。場合によっては、実証検討する。

 その繰り返しでもって、物事は前に進めるのではないか。

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 小さな話ではない。けれど、ささいなきっかけの話だ。

 つまり、目指すべきは大きな到達地点であれども、僕はそのきっかけ、ともすれば礎を築きたいと考える。

 数年経った後に、僕がそこから姿を消そうとも、心地良い流れに乗り、どんどんと大きくしていけるような、礎。

 こんな力も地位もない人間に、何が出来るものか、とも感じる。

 でも、だからこそ周りの多くの力を借りたい、使いたい、引き出したい、と思うのだ。

 そのためならば、僕が脚光を浴びなくたっていい。

 他の誰かが僕の代わりに前に立ち、率いてくれてもいい。志さえ、一緒ならば。

 僕自身がどうこうなりたい、という想いなんて、これっぽっちもない。

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 今、少しずつ広げようとしている。

 まだまだ、囲む輪は小さい。

 けれど、どうだろう。

 こういう繰り返しで、僕は何かをなせるんじゃないか、と思う。

 一人の意識を変え、そこから繋がる誰かの意識を変える。その、繰り返し。

 僕は淡々と、初めの一人を生み出していけばいいんじゃないか。

 今日でたぶん、一人は確実なものになった。ほぼ総てを理解はしてもらえたと思う。賛同かは別として。

 その熱さや想いや、あるいは指向性を誰かに何かのきっかけで話し、誰かに何かのきっかけで伝わるような気がする。

 それを、繰り返そう。時間が許す限りは。

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 僕は、どうしようもなく、ナルシストだ。

 僕が、正しいと、信じているんだから。

 でも。

 自分が自分を信じないで、誰が自分のことを信じてくれると言うのだろう。

 「どこから、その自信が生まれるのか」と、ついぞこの間聞かれた。

 そんなもん、知らない。

 でも。

 あるもんは、あるんだ。その代わり、ないものには、ない。

 はっきりしている。

 でもなぁ。

 本当は、すべてにあるって、言えるようになりたいよね。

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 さて、眠ろう。

 あと一週間でライブだ。

 あ、人数確定させなきゃな。    arlequin