元来、僕はおとなしい人間だと思うし、誰かと争いたくなんてないんだけれど。




 どうしてだろう。




 いつもいつも、敵を作ってしまう。「殴り合いにならなくて良かったよね」って、なんだそりゃ。




 殴る気なんてこれっぽっちもないっての。殴っても何も変わらないし、意味が無い。まぁ、ただ殴られるつもりもないけれど。




 そういう風にしなくて良いために、僕は言葉を学んで、論理を信じて、言葉で解決できるように生活を心がけている。




 大真面目に、本気で言い合えたならば、少なくとも現状の環境で誰かに負けるとは思わない。




 けど、そんなことをするのも、本意ではないし、なるべくなら下らない考え方はしたくない。




 というかなぁ。




 多くを見てきている大御所が、「こっちのが正しい」とまで言ってるのに、どうして分からないんだろうなぁ。




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 すごく、良いペースだとは思う。興味がない人からしてみれば、頭がおかしいくらいかもしれないけれど。




 少しずつ少しずつ、でも確実に、数が揃ってきている。種類も揃ってきている。だんだん、理想に近づいている。




C O H-fresco


 硝子が二つ。薄汚れたようなベージュのグラス、毒々しいような艶やかな赤のグラス。これには、酒でしょうね。酒以外の選択肢が、ちょっと見当たらない。




 なんでしょうね、完全にマグやグラスに関しては、金銭感覚が飛んでしまっているようにも感じます。




 大台(諭吉さん)を越えると、結構思案が何度もループするんだけど、それ以下の場合は「気に入れば、とにかく買う」みたいなスタンスになっている。しかも、チェックしていた外のモノならなお更。




 元々欲しいと思っていると、「まぁ、いつでも買えるけんね」と思って手を出すのがすごく遅くなるんですけどね。ARABIAとかは、その最たる例だなぁ。




 現実的には、ほとんど使うのは決まってしまっているこの頃。冷たいモノは無印の大きいグラス、まろやかにしたいモノはスターバックスのマグ、シャープにしたいモノはうすはり、コーヒーはENTOかルスカ、ビールは何故かケイト・スペード……となると、ほとんど使ってないってことじゃんね。




 でも、それでいいんです。最終的には、部屋の食器棚を埋め尽くして。




 いつでもどれでも選べるようにしたい。「好きなカップで飲もうよ」と言えるようにしたいだけで。よく、カップが選べるコーヒー屋なんてあるけれど、それをもっと広い範囲の飲み物で、自宅でやりたいだけ。




 愉しみだなぁ。徐々に、役者は揃ってきてる。あと数年かかれば、それなりにはなるだろう。




 まだまだ、陶磁器と鉄、木の割合が少ないから増やさないと。そして、バカラ。パーフェクションとブラックは買わないとね。




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 そういえば、僕の愛する「つむじ風食堂の夜」がようやく今月、映画となり公開されるのですが。




 結構、エピソードそのものは内容に忠実なんだとは思うんだけど、空気感が違う。




 もっとこう、ざらっとしてるんです、ざらっと。それでいて、ふんわりとしているんです、ふんわりと。




 そういう空気がイマイチ出てないように思う。って、難しいよね。




 いずれにしても少しは話題になって、少しは名が知れて、多くの人が原作を読んでくれるなら、それも悪くないと思う。それくらい、素敵な本だと、僕は思う。




 吉田篤弘。まだまだ、有名とは言えません。本が好きな人ならまだしも、普通の人は確実に知らない。本が好きな人でも、半分も知らない。




 つむじ風が吹いて、街を通り過ぎる。




 そんな風に、もっと吉田さんの文章が日本を通り抜ければいいのに、と思う。     arlequin