デザインタイドトーキョーが今年もやんやと開催されています。正直、そのイベントそのものには大した興味はなくて、ぶっちゃけた話「デザインって響きにかこつけて、商魂しか見えてこないよね」という穿ったポジションを取っているんですけれども。
そうは言っても、実際は面白いモノがたくさん見れたり、様々な企画が楽しめたり、こういうデザインの企画が日本でも次々に増えてきているのを見ると、嬉しくなったりはします。
日本は海外のようには、文化に市民権がないと思うのです。デザインに限らず、美術や文学や、あるいはもっと多くのものに対して。勿論、日本独自の文化というのは確かに存在して、海外でもその力は認められていますが、果たしてそれそのものが日本独自にも関わらず、「日本国内で市民権を得ているか」と言われると、やはりNOだと思ってしまう。
お香や書、漆や蒔絵や鉄や木、織物や紙、あらゆるマテリアルや伝統工芸と呼ばれる技術や、その周りにいる職人や芸人。すべてに対して、妙に距離があるように感じる。本当は、生活の中に溶け込んでこそ良さが引き立つであろうのに。
だから、どういう角度からであれ(たとえそれが、経済的な優位性やイニシアティブを取ろうとしているだけとしても)、何かのきっかけを生み出してくることは個人的にすごく好ましい。
というわけで、皆様ミッドタウン界隈に行かれる際は、是非。
僕はといえばデザインタイドの企画の中で、ブックディレクターのBACH幅さん(ブックディレクターって、この人とユトレヒトさんくらいしか、いないよなぁ実際)の話を聞き、三保谷硝子さんの企画で我が尊敬する杉本博司さんの話を聞いたり、実際にプロダクトを生み出しているデザイナー(ドリルデザインさんとか)の話を聞いたりしてきました。
一日ぶっ通しみたいな感じで、講演を連続で聴いていたものだから、頭がパンパンになって非常に満足。特に幅さんと杉本さんは良かった。幅さんの感覚では自分の考え方や捉え方が間違っていないことが確認できたし新しいことも学べた。杉本さんにいたっては、もはや感動すら憶えた。
笑みが止まらなかった。その間は、頬の痙攣もまったく起こらなかった。空気が思いっきり吸い込めた。
先々、僕もこういうことが言える人間になろう、と思った。なれる、と自分を信じた。
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その前に、三保谷硝子さんの展覧会をやっているので、AXISギャラリーへ行きました。それもとても良くて、硝子の偉大さを感じて。
だもんでそりゃリヴィングモティーフにも寄るわけですけれどね。久々に「あー、やられたなぁ」と感じてしまいましたとさ。展開がやはり上手い。このジャンルの店では、やはり筆頭の力を持っているなと感じます。儲かっているかは微妙なところでしょうが、少なくともしっかりとしたスタンスで、日本における文化を提供している。
その姿勢を、支持せずしてどうしろというのか。
というのはともかく、まぁまた定番というか、買っておくべきものを。
と言えば、MOMAに展示されているステンレスにエポキシ樹脂を吹き付けた、なんともインパクト満載なカトラリーがまず代表ですが、個人的には断然このシリーズの方が好きなんですよね。というか、不思議と「MOMA永久保存」ってなってしまったデザインって、それほど惹かれないことが多い。分かるんだけど、別に欲しくないかなぁみたいな。
純銅のボディにシルバーメッキ。シルバーメッキはされててもされてなくてもどっちでもいいんですけど、実用を考えるとしてた方がそりゃ良いですから。
銅の重みやエッジの感じが気持ちいい。そして価格もさほど高くない。こういう日本のブランドを、もっと支持できたらと思う。
そういえば、次の包丁は柳よなぁと思っていたんだけれど、工房アイザワのも良いかもしれない。実際、刃の部分もそれを覆う部分の金属も、アイザワの側はかなり魅力的。でも形の使い勝手は柳のほうが良さそうだし。なんとも要検討。
あ、ちなみに画像はヒメフォークとティースプーンです。シルバーメッキは色が変わる。まぁ、昔のように銀の変色を使って薬物が入っているかどうかを見極めるとかはないから、別にシルバーじゃなくてもっていうのはありますけれどね。
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少し考えが変わる。赤木さんの発言や、多くの職人達、そして今日も含めたモノを生み出す人達の話を聞いて。
僕は急ぎすぎているのかもしれない。
あるいは、焦りすぎているのかもしれない。
たとえば僕のいる場所が本当にここでないとしたら。
何もここで何かをなそうとする必要もなく。
ひたすらに考えたり、したがったり、そういうことだけを考える日々も必要なのかもしれない。
って。
そんな風に生きていたら、きっと抜け出せなくなるんだろうな。
意志を抱きながら、絶やさずにいなければ、抜け出せなくなる。
カフカも書いていたな、そういえば。
「向きを変えな」 arlequin
