連休中に読んだ本を、ずっとずっと読み返している。モノが好きな人であれば、とうに手にしていて読んでいる本だとも思う。あるいは、もとより本になる前から、いわゆる連載の段階から読み続けている人がいるのだと思う。




 たぶん。




 僕は、この本に食いついて読んでいる人間の中では、結構若い方だと思う。裏を返せば、僕よりももっと若くしてこの本に食いついて読むということはそれほど無いようにも思える。




 なんて素晴らしいことだろう、と思う。良い本に出会えることが純粋に嬉しい。




 バイブル、とよく言う人がいるけれど。




 僕にとってこれまでバイブルと呼べるものは村上春樹であり、安部公房であり、最近加わっていたのは吉田篤弘だった。そしてカフカ。得てして小説だ。いわゆるノンフィクションというか、そういう現実の類の本では、そうそうバイブルと呼べるような何かがなかった。




 ヴィジョナリーズもソニアさんの本も、大橋さんの類や、いわゆるカフェ本なんかも良いのだけれど、バイブルとは言えない。




 でも、この本は。何かがドカンと載っているでもない。どちらかと言えば、人と人との思考の繋がりや会話、そしてそれらを取り巻く何かしかない。それなのに。




 バイブル。それがもの凄くスッと心に馴染む。この本は、僕のバイブルと呼んでも良い。他の誰が「つまらない本だ」とか「下らない内容だね」とか「こんなものがバイブルなんてたかが知れてる」とかいったところで、どうでもいい。




 確かに僕は、この本で何かを得て、何かが変わったのだ。




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 良い写真とはなんだろう。僕にはよく分からない。分からないけれど、好きな写真はある。




 きっと写真においては、良い、というのは表現方法として間違っているのかもしれない。素敵とか、上手いとか、面白いとか、不思議だとか、そういう表現の方が正しいように思える。




 一眼レフ、と呟く。一眼レフが何よりも優れているとは思わないけれど、やはりその風合いは心地良いのだろうな、と思う。




 GRDⅡを手にしていて思う。GRは確かに優れたコンパクトカメラだと思う。銀塩にしろ、デジタルにしろ。




 しかしながら、僕はその優れた点というのを盲信し、勘違いしていたように思う。




 はっきり言って、僕が撮りたい、あるいは好きな写真というのはGRのような画じゃない。




 広角が嫌いなわけではないけれど、違和感ばかりが増えてしまう。「こんな風に見えているんだ」というのを切り取りたいのに、GRは切り取りたくない部分まで、懇切丁寧に切り取ってしまう。




  デジタルならリサイズとか加工すれば良いのかもしれない。でも、そもそもの空気感が好きになれない写真をいじりたいという気にもなれない。




 それほど高くなくてもいい。普通の一眼レフが欲しい。デジタルでいい。フィルムは、まだ早いから。




 GRにテレコンをつけることも考えたけれど、なんか意味がないような気がして。




 安くて、心地良くて、撮りたくなるような一眼レフ、ないかな。




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 兄がお土産と言ってパンを買ってきた。




C O H-ロブション


 形を見るだけで分かりますよね、ここんちは。




 ロブション。最近そういえばロブションのパンは全く食べてなかった。なんというか、美味しいんだけど妙に主張が強い感じというか、そういうのが苦手で。




 久しぶりに食べてみると、「アレ……、なにやら美味しいような気がする」と。バゲット、オリーブのパン、パンプキンのパン。相変わらずバゲットは主張が強いけど、噛むごとに出てくる風味は悪くない。オリーブはオリーブの塩気をうまく活かしてあって、とても良い仕上がり。パンプキンのパンはほんのりと甘くて、ふわふわしていて、とにかく美味しい。




 なんだろう。




 美味しいパンを食べていると、勝手に幸せな気分になれる。




 特に、春と秋はパンが美味しく感じるんだ。




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 紅茶。マリアージュ・フレールはどこでも買えるし、価格も悪くないし、味も好きだし、見栄えも良いんだけど。




 魅かれてしまうのは二つのところ。




 どちらも小さくて、小さくて。




 でも、人が感じられる。




 だから、だろうな。     arlequin