少しだけ熱も落ち着き、ようやく思考もまともになってきた感じもする。どうしてもこう、熱があったりすると普段の思考ルーティンとは違う枠組みで色々なことを考えてしまい、あんまり口に出さないことも出してしまったりする。
そして、その違う枠組みから生まれてしまう様々なことを、後から消化するのも案外酷だったりする。
その、つまりは、まぁ考えても仕方がないことを考えてしまうということだ。
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・「リミット」
いつになれば、どこまで流せば、と思う。それはきっと自分だけではないはずだ、と僕は言い聞かせる。言い聞かせたところで何が解決するわけでもないことを知っていながら、あるいはそれくらいしか成す術がないことを知っているからか、言い聞かせる。そして先に広がる「よくわからないもの」を盲目的に信じて、「今はこれで良いんだ」。
泣きたい、と思っているわけではない。なるべくならば泣くことなどしたくはない、と僕は思っている。けれど否応無く反応してしまうある種の事柄に、時には悔しくなり、時には苦しくなる。その悔しさは苦しみは決して涙と共に流れ落ちるものではなく、涙の後も少しばかり姿を残していってしまう。
言葉。直接的な音としての言葉もあれば、間接的な―とはいえ、視覚からすれば直接的な―言葉もある。いずれにせよ確かな響きを持った言葉と、ゆるやかな切なさを抱いた言葉を前にすると、いつからか涙を流している。ごく単純にさめざめと、ひたすらに両の目から雨粒が落ちるように。
歌。幸福と歓喜の歌、若しくは悲しみと後悔―えてしてそれは、惨めなものではあるけれど―の歌。例えばラジオから、テレビから、街中から、ついには自らの記憶の中で鳴り響く歌までもが、涙を誘い出す。場所もタイミングも関係なく、そこに誰がいようが何処であろうが、スルスルと「また泣いているんだ」と確信を得るまで、流れ続ける。
感情が昂ぶることにより、涙は流れるらしい。それがプラスの感情であれマイナスの感情であれ、ようは昂ぶってしまったものを元のフラットな、ゼロの状態に戻すように涙は機能するのかもしれない。果たして本当にその機能が、完全に成立っているのかといわれれば、疑わざるをえないとしても、だ。
「そういえば、最近はずっと泣いているよ」と、僕は思う。
「深夜に涙で起きることもあるし、朝起きれば枕がヒドイことになっているしね」と、僕は思う。
「それほどまでに」と、僕は思う。
恐らくはリミットを越えているのだ、と僕は思う。人それぞれに感情のリミット、抱えうる容量に差はある。ほんの少しのリミットで、それを発散しなければならない人、とんでもないリミットを持ち、発散という文字を知らない人。少なくとも、僕はどちらでもなかった。平均と言うつもりもなく、普通と言い切るつもりもないけれど、それほどまでにやわでもないし、かといって強靭と誇れるでもなかったからだ。
リミット、と考えてみる。どの感情に対してのリミットが越えていて、涙を誘発してしまっているのか。考えても考えてもそれは分からず―わかっていれば、こんな風に日々を過ごしていないのだろう―、夜まで考えたのちにまた同じように涙を流す。
どんな風にして、この涙が止まるのかは知れない。リミットが変わり、感情に耐え得るようになるのかもしれないし、リミットを越えないように、感情をコントロールできるようになるのかもしれない。若しくは、感情そのものをどこか別の境界に、区分けしてしまうのかもしれない。
笑えば笑うほど。
笑えば笑うほど。
笑えば笑うほど。
・「言い訳」
言い訳をしていたんだということを知る。冷静に今の状況を捉え、客観的に物事を分析してみると、そういうことになる。多くのことで、言い訳をしてきている。
もちろん言い訳の中には正論も含まれていれば、いたし方が無い言い分も含まれている。けれどそれらはあくまで言い訳に付随した名目であり、大きく括ってしまえば所詮は言い訳に過ぎないのだ。
「なぜ、言い訳をするのか」と疑問を提示する。答えはそれほど複雑でもない。
「責任を取りたくないからだ」
たぶん、そういうことだと思う。事前にせよ事後にせよ、ある程度の条件や譲歩―それが言い訳であるわけだが―をするということは、どの条件や譲歩の中に逃げ道を常に作っていて、いざという時には自らはそこに逃げ込むことが出来る、安全が一定量確保することが出来るということだ。洞穴。穴熊。
逃げ道を作ることが悪いわけはない、と思う。人にはいろんな生き方があって、誰しもが逃げずにびっしりと前を向いて直進していたなら、きっと世の中はまとまらない。あっという間に総ては滅びるに違いない。
しかしながら、人には時として、「逃げてはいけない」ことがある。そして「逃げてはいけない」時がある。
無論そういった瞬間にも、逃げ道を作ることは可能で、その状態で挑むことも出来る。けれども、考えるのはそういうことじゃない。
どれが最も自分の糧になるのか、という問題だ。
逃げ道を作らずに、自分の中に責任を置くことによって得られるものがある。言うなれば、そうしなければ得られないものがあるのだ。
でも。だけど。
今自分が考えている事柄に、それらの言葉を使わずに何かを語り、何かを成すことが出来るのだろうか。
・「死」
それ自体は、全く怖いことじゃない。絶対にイヤだ、とも思わない。少しだけ死の迫るころから、今を逆算してみる。
なるほど。
たいそうなコトは、出来ない。
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なんだろう、まだやおおあり熱があるからかなぁ。「リミット」は完全に創作雑記として書いたわりに、「言い訳」と「死」に関しては創作ではなく単なる雑記だなぁ。
白シャツ、着たいなぁ。
欲しい服も少しばかり増えてしまった。
またそれとは別だけど、+Jはやっぱり凄く良さそうだし。ジル・サンダー女史バンザイ。
好きな服を着て、好きな音楽と好きな本がそこにあって、コーヒーとパンがあって、青い空が広がっていて、それで。
考えるだけじゃ、しょうがないんだけどね。 arlequin