リズム、とつい考える。ここのところ、どうしてもリズムがうまく取れていない。




 気分が少しばかり、萎えてしまう。なんだか愉しみに思えていたことも、成立ちそうにない。




 なげやり、と呟く。




 たぶん周りからしてみると、特に仕事に関しては幾分なげやりになっているように見えるのかもしれない。




 なげやりなわけではなくて、多くのことに失望し、楽しくないだけなんだけれど。




 いずれにしても、あんまり良くないよね、とは思う。




 とりあえず、笑うしかない。




 笑顔でいれば何か良いコトがあると、信じて。




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 今日は、雑記。




・「雨」




 降り続く雨を見ていると、どこか胸の奥底がムズムズとしてくるのはきっと、湿気によるジメジメした空気が気に入らないことや、街のあまりのひそやかさに畏怖を憶えてしまうことや、あるいは落ちてくるそのものの形がどことなく涙を連想させてしまうからかもしれない。




 この時期の雨は、好きじゃない。




 どうして6月の雨は、すっきりとしないのだろう。シトシトと音をたて、さめざめと流れていくのだ。まるで、起承転結のない物語のように。激しく強くもなく、どうしようもなく弱いでもない。そして、肌にひっつく。




 夏の台風であれば、「雨だ」と足を蹴り上げ、何をするでもなくただ雨に打たれることも楽しい。呆れるほどに濡れて、救いようがないほどに笑う。遠くまで駆け抜ける気分になり、今の瞬間を感じることが出来る。




 けれど、この時期は違う。




 「雨だ」と足を蹴り上げようとも、その雨に打たれて沸きあがるのは、逃れようのない悲しみや切なさなのだ。幾分歪んで見える向こうの景色に映るのは、ただただ歪んだ世界なのだ。




 無邪気でいようとすればするほど、無垢であろうとすればするほど、素直になろうとすればするほど、よりその感覚が押し寄せてくる。そして口や鼻や耳や、体中のありとあらゆる部分から何か「ドロドロとしたもの」が入り込んできて、体中を撫で回し、いつの間にかその「ドロドロとしたもの」が様々な大切なもの―それが実際的なものであれ、感情的なものであれ―を引っ張り出していく。




 引っ張り出された後に残るいわば抜け殻は、圧倒的に無力なのだ。絶対的な無力、と言ってもいい。




 そうした圧倒的な無力―あるいは、絶対的な無力―がしばらく続いたのちに、ふと暖かい空気が身を包み、確かな時間に引き戻される。




 この時期の雨は、そういう雨だ。




 いつかこんな雨ですら、愛しく思える日が来るのだろうか。懐かしく思える日が来るのだろうか。




 そんなことを思いながら、降り続く雨を見つめる。




 この心に住み着いている幾つかの涙も、あの雨に紛れて流れてしまえばいい。




 あの雨に、紛れて。






・「眼」




 『このガラスは透明で、色はついていないだなんて、一体誰が決めたと言うのだろう』






 ふと、中学生の頃の記憶が掠める。美術の授業のビンと林檎を描く課題で、強く思ったことだ。




 僕は描く前にひたすらにビンを眺めた。それはもう、周りの音が何も聴こえないくらいに、眼が眩むほどに。




 そうして見えたビンの色は、淡い紫だった。誰がなんと言おうと、淡い紫だった。




 そしてビンを通り抜けた光は、もっと淡い紫をしていた。






 僕は見えた通りに描いた。形がいかに歪であろうと、大きさがどれだけ非現実であろうと、色だけは見えた通りに忠実に描くことができた。




 課題を終えた時、周りはみな妙な雰囲気だった。






 言わんとしていることは明らかだった。「紫のビンなんて、ここにはないじゃないか」






 僕は僕で不思議に思っていた。「どうして他のビンには、色がついていないのだろう」






 折に触れ、この出来事は思い出される。




 何に喚起されているのか、何を表そうとしているのか、それは全く分からない。






 分からない、けれど。






 決まって。






 思い出している時は、ガラスが淡い紫に輝く。






 その頃も今も、見えるものは見えるのだ。






 『自分が見ている世界と、他人の見ている世界が同じものだと、一体誰が決めたと言うのだろう』








・「飴」





 小さな頃から、いつだって求めていたようにも思える。





 ガムでもなく、キャラメルでもなく、他のどんなお菓子でもなく、飴。





 きっとそれは、あの小さな塊り―時として大きな塊りもありうるけれど―が醸し出す鮮やかで華やかな空気、色とりどりに可愛らしい佇まい、そしてふくよかな味わい。そのどれもに魅了されていたに違いない。





 たった一粒の飴を手に持てば、少し遠くまで歩けるような気がした。幾つかの飴をポケットに忍ばせれば、かなり頑張れる気がした。たくさんの飴をカバンに詰め込めば、ずっとずっと、何処までもいけるような気もしたものだ。





 カンロの飴が好きだった。あの茶色くて、無骨で、でも輝きに充ちた寒露飴。頬から唾液が出すぎて痛くなるくらいに味が濃くて、舐めきったころには口の中がシバシバして、粘膜がシワシワになってしまっていたのを、今でもさっき起こったことのように思い出すことが出来る。





 2色の飴も好きだった。黄色やオレンジ、赤や緑、紫や白。心が躍る色たちが、組み合わさってそれぞれの味を出す。時に甘酸っぱくなり、爽やかになり、まったりとして、世界がマーブルに変わる。袋開ける瞬間に堪らなくワクワクし、口の放り込む瞬間に果てしなくドキドキした。







 梅の味が大人に感じたり。ヨーグルトの風味が鼻についたり。果実の香りに、身を委ねたり。そんな日々だった。





 今も僕のポケットには、そして随分と大きくなったカバンの中には、飴が忍んでいる。





 手を伸ばせば、いつでも届くように。





 飴は常に、僕の生活に溶け込んでいる。





 それらはとても。





 甘く。





 儚く。





 狂おしく。





 喜びに溢れて。








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 久々に、なんだかこう、何も考えずにただの文章を書いた気がする。ひたすらに、気持ちよく書いた文章。





 あぁ、すごく、好きかもしれない。今日の文章の感じは、すごく好きだ。





 スタイルとか、テクニックとか、そういう問題ではなく。





 とてもシンプルに、文章として。





 何故だろう?





 良い。     arlequin