コドモだなぁ、と強く思う。いかんせん、やりきれない部分が多い。何をするでもなく過ごしてしまう。
もっともっと、大人になって。もっともっと、強くなって。もっともっと、優しくなって。そしてもっともっと、揺るがないように。
そんな風にならなければいけない、と感じる。周りからどう見えようがどう思われようが、所詮は齢も少ないコドモなのだ。
年を取れば何かが変わるのか、と問われればそれは違うかもしれない。でも、絶対的な時間の必要性というものは確かにある。
無駄な時間はない。無駄な言葉もない。無駄な日々もないのだ。
だから僕は今日も。
ページをめくり。
コーヒーを淹れ。
音を奏でる。
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マグの収穫が続くと思ったら、今度はグラスが続いたりする。そういうものは一種の流れのようなものであり、抗いようのないことなのかもしれない。
なんて、強いんだろう。そこにあるだけで、夕焼けが喚起される。無数の気泡と、力強く付けられた彩。
この中に、透明な液体をいれればいい。
琉球ガラスです。今となっては、珍しくもないけれど。それでもこういう彩は、胸をくすぐられる。
今の流行のおかげで、優しい空気のカップも多くなり、作家的なちょっと無骨なカップも多くなり、ナチュラルな空気のモノは随分と選べるようになり、手にできるようになった。
彩は?
どんなときでも彩は彩としてあり続け、存在しつづけている。アースカラーやナチュラルトーンだけが柔らかいわけでもないし、優しいわけでもない。
強い彩は時に、何よりも柔らかく、何よりも優しくなる。
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これまでずっと「グァテマラのバランス感と安定性が好きだ」と常々思ってきたのだけれど。
ここにきて、実は「タンザニアのふくよかな包容性」も素敵なのではないか、と思ったりする。
いずれにせよ、タンザニアは淹れている最中の香りが、たまらないのだ。
甘く。
深く。
華やぎ。
希望に充ちて。 arlequin