久しぶりに、地元近くにあるお気に入りのカフェ兼パン屋へ行く。相変わらず昼時は込み合っていて、イートインでサンドイッチは食べられなかったけれど、テイクアウトのパン達で十分。




 ブルーチーズとくるみのハードパンはちみつがけ、ほうれん草のキッシュ、そして林檎のブリオッシュ。どれもがあまりに素晴らしくて、食べているだけで笑顔がこぼれる。




 ブルーチーズの香りと塩気がくるみとハードパンによく合い、そこにほのかなハチミツの甘みがアクセントを加えてくれる。こんなに美味しいハードパンは、そうそうない。いや、いろんな地域のいわゆる美味しいパン屋にはあるだろうけれど、近場にこんなに素晴らしいパンがあるということが嬉しいわけで。




 ここのキッシュは、僕のキッシュ像そのもの。中がしっかりと詰まっていて、大きくて、それでいてサッパリと食べられる。ほうれん草は特に素晴らしい。ここんとこ妙にほうれん草づいているというのもあるけれど、幸せな気分になる。




 林檎(紅玉)のブリオッシュは文句のつけようがない。パン部分もクリームも、甘酸っぱく焼きあがった林檎も、どれもが主張しつつ、どれもが調和し合っている。こういうのを、美味しいパンというんだ。




 少なくとも、職場の近くではここまで美味しいパン達がいないから、残念で仕方がない。




 パンばかり食べていると、周りから敬遠されがちだけれど、こういう美味しいパンを知らないんじゃないかなぁとさえ、思ってしまう。こんなパンを食べたら、しょっちゅう食べたいと思ってしまうに違いないから。




 同時に、「僕はパン屋にはなれないな」とも思う。パンには地味に煩いし、大好きだけれど、たぶん作るセンスはゼロに近い。それはもう、純粋に才能の問題で、努力でどうこうの問題じゃない。努力は確かにある程度の実力のレベルを上げ、それなりのモノを作れるようにはしてくれるけれど、才能なくして本当に素晴らしいモノは出来ない。それは、どう考えても正論だ。僕はパンを焼く役割じゃない、そういうことだ。




**********




 もうコーヒーはそこそこに良い、とこの前思ったけれど。でもやはりせっかく淹れるなら、常にもっと美味しくなることを目指したい。また、少し違う淹れ方を試す。はっきりいって、今回のような淹れ方を毎回していると、採算が取れないというかあまりに贅沢すぎるので、滅多に出来ないけれど。




 もの凄い量の豆を一回に使った。ある人は勿体無いと言うし、ある人は意味がないというかもしれない。でもそうして淹れたコーヒーは、とても凄かった。香りは最大限に立ち、コクと旨みは出ているのだけれど、無駄な味は一切というほど、これまでの水準では考えられないくらいに、スッキリとしていた。なんだろう、呆れるくらいにゴクゴクと飲める、でもコーヒーらしさはこれまでに負けないくらいに強い。




 これは、ある種の僕の理想(あくまで、僕の中での美味しいコーヒーの理想像)だな、と感じる。なるほど、とも思う。やはりこれまで考えていた理論は、全く間違えていないし、それを実践すればより理想のコーヒーになることは分かった。




 でもね、これは続けられない。非現実的すぎる。たとえばコーヒー屋を開いたとして、こんな風にコーヒーを淹れていたら、それこそ500円どころではなく、1000円くらい取らないと、儲けが出ない。そういう店もあるにはあるけれど(ランブルや某珈琲屋もそうだから)。




 まぁたまに、面白半分で、すごく良い豆が入ったら、こうして淹れるくらいでいいかもしれない。あと、純粋に豆の比較をしようとするときとか。




 にしても、美味しいなぁ。「コーヒーは苦いから、ダメ」とかいう人は、こういうコーヒーを飲んでみるべきだと思う。苦いとか、ないから。いや、まぁコーヒー特有の風味はあるけれど、敬遠するような苦味ではない。むしろ、甘い。




**********




 午後の紅茶の茶葉2倍ミルクティーは、やはり名品だと思う。初めて出たときから、もはや定番になってくれたのは嬉しい限り。あのクオリティのミルクティーを、ペットボトルで飲めるのは凄い。




 ジンジャーレモンを買おうとしたのに、売り切れていたのは嬉しいような、ショックなような。




**********




 飲みたい飲み物が、売っていない。コンビニで売ってるんじゃないのか。こんなに酒を飲もうとしているのは、ごくごく珍しいことなのに、そういうのに限ってあんまり売ってないとはどういうことか。




 絶対に旨いに決まっている。     arlequin