「arlequinってさ、人にモノあげんの好きだよなぁ」と、会社で言われたことがある。まぁ、間違いではないんだけれど、少し違う。




 確かにモノをあげることで、色々な感情を表そうとするし、あるいはそれが楽しかったり、趣味ではあるけれど。ただモノをあげるってわけではなくて。




 その人に持って欲しいもの、その人が楽しめるものを、あげるのが好きなわけで。もちろんひとりよがりな部分は大きいけれど。




 また、そのあげるべきモノを手にするには、それ相応の代価を、僕は僕で当然ながら支払っている。下世話な話、それはお金である場合もあるし、あるいは技術だったりする場合もある。いずれにせよ、僕の感覚と時間と感情と、そういったたくさんの代価で、モノを手にしている。




 そんな風に代価を支払って手にしたものを人にあげるということはつまり、「僕自身を削り取って、差し出している」ことに他ならない。ある意味では、そういう感覚がある。




 「人にモノをあげる」なんて、みんなよくするし、至って平凡な行為だけれど、少なくとも僕はそんな風に想っている。だからこそ、人からモノを貰うと、異様に嬉しいし、喜ぶ。




 「モノをあげる」という行為を通して、結局「僕を表現している」ということになる。なんだかなぁ。




 人それぞれ、様々な表現方法はあるし、僕だって他の表現方法は持っているけれど、一番シックリくるんだよなぁ。感謝とか、もろもろ。




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 谷根千での収穫はいろいろあれど、一番大きなモノはコレでしょうか。今(青空洋品店の無き今)、谷中周辺の中で最も好きなお店であるイリアスさんにて。あ、でもプフレーゲライヒトさんも好きだなぁ、一番って難しい。




ポット1


 こーんな。1950年代くらいの、イギリスの陶器製ポット。ちょっとグレーがかった白のボディに、柔らかいブルーの蓋の組み合わせ。この微妙な空気感と、質感が、どことなく童話っぽくて、ガツンと惹かれてしまいました。




 ともすれば、おもちゃっぽくも見える。でも細かい部分もちょっと面白い。




ポット2


 蓋の取って部分とかの形も可愛いけれど、ポットボディの取って部分が何よりも良い。今でこそ、世はデザインブームであるがゆえ、いろんな形が見られるけれど、やはりこういう古いオリジナルの形は、とても魅かれる。持ちやすいかって言われると微妙ですし、何か利点があるのかとなるとそれまた微妙ですが(笑)。




 アンティークが何がなんでも良い、という評価は僕は全く出来ないですが、アンティークにある種の魅力があるのは確かだと思うのです。よく「古いモノを買うなんて、考えられない」とか言うのも分からないではないけれど、その時代の空気の中でしか作り得なかったモノってのが、絶対にあるんですよね。




 でもこれは、悩んだなぁ。というか、同じイリアスさんで、似たような系統のポットとカップ&ソーサーのセットがあったんですよね。そっちもすごく素敵で。どちらにするか、迷ったという。




 とにもかくにも、イリアスさんは本当に面白いお店です。よく見る雑貨から、一部アンティークや先進的な雑貨まで、ごちゃっとしつつも凄く幅広く雑貨が詰まっている。行くごとに、何かしらの発見ができます。是非とも。




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 疲れると、言葉を発せなくなるクセを直さなければいかんと思う。全然、口が回らなくなるんだよなぁ。頭も。むむむ。     arlequin