時間があれば、それだけ様々なことを考えてしまうのかもしれない。それが直接的であろうと、そうでなかろうと、いずれにせよ生活に影響は与えるのだと思う。




 僕は考える。たぶん、それ以上に周りの人々は考えている。だからこそ、出来ることは総てやらなければいけない。自分のこともそうだけれど、それ以上に他人に出来ることは出来る限り、やらなくてはならない。




 それは義務感ではなく、いわば自分が自分らしく、あるいは満足して生活するために過ぎない。人のためというのは、結局のところ最終的には自分のために他ならない。




 それでいいと思う。その偽善性や独善性を否定するのは、間違っているとも思う。そうした上で、確固たる感情や行動を導き出せれば、良い。




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 この間のお休みの際、六本木へ。森美術館でやっているターナー賞の展示を見に行ったわけですが……なんとも。面白いのと、ふーんという感じのが半々。牛は見るべきです、デミアン・ハーストの牛。あとは、ウォルフガング・ティルマンスのポートレイトが素晴らしかった。……逆にいえば、それくらいだったと言いますか。




 ミッドタウンやなんやかやにも行きましたが、これといって収穫はなく。唯一収穫を得たのは、リビング・モチーフにて。




ボーンチャイナ1


 リビング・モチーフの良いところは、良いものが揃っていることというのではなく、むしろ良い視点を持っているということなのではないか、と思ったり。




 リビング・モチーフがオリジナルで作っているカップ。様々なサイズや、ソーサーなんかも作っていますが、これが素晴らしいんですよね。なんといっても、ニッコーさんに依頼してボーンチャイナで作っている。




 ニッコーのボーンチャイナって、すんごく綺麗なんですよね。真っ白で、でもどこか暖かい。僕はすごく好きで、コレを見ると「うんうん、そういうことなのだよ」と頷いてしまう。ニッコーオリジナルのボーンチャイナのカトラリーも素敵ですよね。まぁ、実用性はアレなので、柳でそろえてしまいますが。




 ニッコーと聞くと、昔から食器が好きな方からすると、「何を今更」という話なのですが。あえてそのニッコーさんに別注をかけるというところが、他にあまりない視点。




 買ったのは2種。コーヒーマグと、ストレートのカップ。どちらも、実用性十分。質もすこぶる良好。ボーンチャイナ、バンザイ。




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 ふとしたことで、価値観は変わる。例えばそれまで、ある種の偏見をなにげなくやり過ごしていたことも、なぜかイチイチ引っかかったり。良いことのような気もすれば、そうでないような気もする。ただなんとなく、こういう性質の自分自身が臆病に思えて、好ましくはない。仕方無いこととはいえ。     arlequin