バタバタと、周りが倒れていく。今日も、早めに一人、途中で一人が倒れてしまった。はっきり言って、ツライ。それはただ人手の問題なのではなく(むしろ、そんなものはどうでもいい下らない問題だ。)、その人を心配な気持ちと、それと共に湧き上がる「どうして、僕はそこになるまで何も出来なかったのか」という気持ち。




 もちろん、現実においてはそれほど人間は大それたことが出来るわけでもないし、体調うんぬんに関してはさらに難しいトコロはある。しかしながら、「まだ何か出来たのではないか。もっと、僕は周りを見るべきだったのではないか」ということは考えざるをえない。




 特に、今日の途中に倒れてしまった方が気になる。よく理由や状況は分からないけれど、いずれにしたところで、まずその分からないのも問題であれば、そこの段階に至るまで何も気付けなかったのが更なる問題だ。




 僕は、何を、やってるんだろう。




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 家に届いた、荷物。郵便として、200円切手が貼られてきた荷物。僕の価値観の一つとして、存在を欠かすことが出来ない要素がこもっている荷物。




ライヒト1


 真っ白な、キャンバス。そして、まっさらなノート。




ライヒト2


 ただただ、無造作に縫い付けられたキャンバス。そして、それに包まるノート。




 何が魅力かと問われると、その純粋さと無垢な風合いと、それと自分の価値観との合致としか言えないかもしれません。ピンとこない方には、一切の魅力を発しないノートでしょう。




 真っ白なキャンバスは、そこに様々な絵を描ける。また、彩をつけられる。そうすることで新たな感情や感覚や、価値観や未来を探ることが出来る。そうして描いた絵や彩は、消せない。消せないけれど、さらに付け足すことが出来る。油絵のように、いくらでも変えることが出来る。




 もちろん、そこには時間も必要になれば、努力も必要だし、あるいは感性も重要な存在となる。しかしそれらが、正しい場所で、正しい時間に、正しい環境で組み合わさったとき、確かに幸せが創りだされる。




 人生は、結局のところ、こういう真っ白なキャンバスに過ぎない。彩をつけるように、様々な意味を付け足していく。この世に、もとより意味のあることなんて、何一つない。僕らが見つけ出し、時には作り出し、彩や形を描き出していくもの。




 考え始めれば、どんどん浮かぶ。そういう考えを再び喚起してくれる意味でも、僕にとってはこのノートが随分と魅力的なものになる。




 たとえ幼くとも、未熟であろうとも、思考を続けることは、とても楽しい。純粋に。




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 塩キャラメル的なものが、ここ数年でかなり増えてきたけれど、今日またいわば市販の塩キャラメルで、もの凄いのに出会う。やたら、美味しい。ルルーの塩キャラメルとまではいかないが(そりゃ、当然だ、スタンスも違う)、市販の中ではトップとしか思えない。いずれ。     arlequin