コーヒーが、美味しい。自分で淹れて言うのもおかしいけれど、やっぱりヘタに外で飲むよりも自分で淹れたほうが随分と美味しい。今お気に入りの森彦の豆は、丸い、柔らかい、甘い、そして優しい。
ブレンドなんて、というコーヒー好きもいる。それはある種一理あるけれど、それは結局一理でしかない。ストレートにはストレートの良さが素晴らしくあるように、ブレンドにはブレンドの良さが素晴らしくあるのだ。
もちろん、グァテマラが好きだ、タンザニアが好きだ、エチオピアが好きだ、ケニアだってマンデリンだって好きだ。でも、そういうなんやかやを上手に、本当に上手に煎り混ぜてあるブレンドは、また特別に好きだ。
個性的なだけが魅力じゃないのだよ、と思う。バランスや、柔らかさや、ともすればなんでもない空気こそ、魅力になりえることもあるのだよ、と思う。それはたぶん、コーヒーだけに限った話じゃ、ないんだけれど。
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新しければ良いってもんでもないし、ただ古ければ良いってもんでもない。でも、古いモノにはやはり何かしらの力があったり、惹かれる趣があったりはするものですよね。そういうモノとはつまるところ出会いであり、出来れば逃したくない瞬間があったりします。

いつごろかわかんないけれど、たぶん古いクレヨン。一本のサイズは大きめ、ドカンと欧米サイズで。パッケージがあまりに素晴らしいんですよね。現代のクレヨンのポップな感じもそりゃ面白いものはあるけれど、こういうシックな風合いのポップさ、みたいなのはやはり古いもののほうがあるのかもしれません。
クレヨンを巻いている紙も素敵。色も勿論ですが、やっぱりそこに印刷されている文字や柄。なんだろう、懐かしさだけではなくて、どこかモダンな感じもする。普遍的な魅力というのは、そういうことなのかもしれませんね。
まぁ、ただどれだけデザインが素敵とはいえ、今現在これを使うわけではないのですよね。そこにコストや労力を費やすというのは、少しバカなことのようにも思えるけれど、これほど贅沢なこともないような気もして。
自分の周りにあるモノの多くが、それぞれ手に取って面白いモノばかりになれば、それはもう楽しいだろうなと思う。一生かかるのかもしれないし、どこかで到達地点を見出すかもしれません。分からないけれど、今はどんどん正直に瞬間をつかめれば良い。
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理屈ってのは、恐ろしいくらいに役に立たないものだなぁ、と思ったりします。いざというとき、それは単なる盾にすらなりえないし、ましてや武器にもならないなぁ、と。理屈を超えた何かは、様々なものを飛び越えて、存在感を示す。難しいものだなぁ。
王様の耳はロバの耳。叫ぶための穴、あるいは井戸。僕はそんな役割なのかもしれない。ずっと、ずっと、感じてきていたことで、たぶんこれからも、ずっと、ずっと、感じていくであろうこと。それはそれで悪くない。
ところで、僕の穴や井戸はどこにあるんだろう。 arlequin