連休二日目。新宿に出たりしたのだけれど、やはり御苑は素敵だと思う。ともあれ、以前感じていた「どの街にいても、なんとなく自分のリズムを刻めるようになっている」という感覚は、正しかったように思う。昨日の渋谷や原宿、あるいは今日の新宿を総合してみてみても、これまでと違う。




 違うといっても、あくまでそれはコチラ側の心や体の問題で、周りから見ると大した違いはないのだろうけれど。たぶん、街の中における様々な現象や状況を、幾らかのデフォルメも含めて、随分と前向きに捉えるようになったのだろうと思う。




 ゆっくりとしか進めない状況があったらそれは「ここはゆっくりと周りを見て、いろいろ考えてみるのも悪くない。いつもは見れない部分が見れるのかもしれない」とか、妙にざわついている環境があったらそれは「人間ってやっぱり凄いな。聞きたい人の声だけをリアルに聞き取れるものなぁ」と想いを馳せてみたり、思わず微笑んでしまいたくなることがあればそれは「素直に笑えるってのは、なんと心地良いものか。素晴らしい」とか。




 何かがある街も、なんでもない街も、愉しめるようになってきている。理想的かもしれない。もっといろんな街に出て、それを確かめないといけないか。もしも、本当にどんな街でも愉しめるようになっていたら、それは気持ちよいなぁと思う。どんな街でも、愉しみがある。




 そうだなぁ。現に、徒歩圏内に思いのほか美味しい料理屋が出来ていたり。なんにもないなぁ、と思っていた我が街も、少し変わってきている。




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 代官山でのモノも、祐天寺でのモノもあるのですが、まだ残っていた蔵前のモノ。見た瞬間に多種多様なイメージが次々と浮かび上がって、どうしようもなかった、土モノ。




陶器皿


 前に紹介したカップと、基本的には同じ材質、仕上げ。でも、やはり上薬の加減とか、あるいは焼きの位置における温度変化の関係などから、色合いや風合いが微妙に異なります。この皿のほうは、カップよりも幾分濃い色味で、ざらついた感じ。




 この皿を見た瞬間、ザーッと洪水のようにイメージ。イチジクや日向夏など果物が無造作に飾られている姿、厚切りのトーストが二枚と溶けかかったバターにたっぷりのハチミツが加わった朝食、あるいはベーコンエッグ。彩どられたタルトが並ぶその間に完全なドライフルーツが並ぶ姿、ゆっくりと仕上げたパンケーキがふっくらと鎮座する姿。




 シンプルに素揚げした野菜たちと粗めの塩が並ぶ姿、アスパラやゆで卵やジャガイモが存在感溢れるニース風サラダ、新鮮すぎるトマトと上質なモッツァレラチーズを使ったカプレーゼ、若しくは同じ空気の冷製パスタも良い。




 甘めにしっとりと転がしたカボチャの煮物、タマネギとしょうがを利かせたナスの南蛮、しっかりと出汁をとってほんのりと温まる揚げ出し豆腐、努力を惜しまずにコツコツと仕込んだふろふき大根、あるいは優しい鳥肉と優しいカブの組み合わせ。




 なんなら、余計なことをせずに、ハードなパンを乗せるだけでもいい。シュトーレンを盛るだけでもいい。マッシュポテトでもいい。意外に、銀シャリを盛るだけというのも綺麗だ。




 とにかく、イメージが駆け巡って仕方がなかったのです。そしてその絵の総てが、心をくすぐったのです。こんな感覚は久しぶり。そしたら、連れて帰る以外に選択肢はないでしょう、と。




 今後は、洋服よりも出来ればカップや皿や、カトラリーに力を入れたいとか思っていたりします。そうは言っても根っからの服好きなだけに難しいでしょうが、少しずつ。




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 NHKでゆずを見る。なんだかんだで青春で、なんだかんだで好きなんだなぁ、と再認識する。楽しそうで、幸せそうで。




 とある雑誌を買う。僕の好きな2大特集。後に記事にしますが、なかなかよく出来た雑誌。一つはともかく、もう一つのほうのカテゴリーはあっさりと良いところを一通り取り上げている。たぶん本当に好きな人が担当したんだなぁと思う。とはいえ紙面のページ数の都合もあって、踏み込めるところはまだあるけれど、それでもここのところの雑誌の中では最も中身がある気がする。     arlequin