「arlequinくん、笑顔が、消えてるよー」と、いつも笑顔の方に言われてしまった。確かに、あの瞬間、そして前後のしばらくの間、自分でも分かるくらいに笑顔が消えていたように思う。後から思えば、何故そこで笑えていないのか、すごく悔しい。




 何か厳しいときこそ、辛いときこそ笑顔でいたい、そう思っていたんじゃないのか。嫌なイメージや考えが浮かんでしまうときこそ、笑顔で中和したい、そう思っていたんじゃないのか。どうして。




 疲れているなんてのは、言い訳に過ぎない。何か嫌なことがあったなんてのも、どうでもいいことだ。生活していれば疲れていることもあるし、気持ち悪いときもあるし、あるいは悲しいときだってあるのだ。そんな生活の中で、笑顔を大切にできなくて、どうするか。




 もっと、もっと、だ。少なくとも人の前では、笑顔でいなくちゃいけない。笑顔を失くすのは、自分一人のときだけでいい。本来はそれすらもやめたいけれど、少しずつしか出来ないから、まずは。ふぅ。




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 伝統とデザイン。最近はかなりの部分で、伝統とデザインは絡み合うようになりました。伝統的な技術を現代的なプロダクトに使ったり、伝統的な柄や色を現代のデザインに用いたり……その典型とも言えるのかもしれません。土モノ。




陶器1


 すごく素朴なザラッっとした肌触りの焼き物。色もすごく自然で、見ても持っても気分が柔らかくなる。どこか懐かしさも感じる。でも、確かに形は現代的で、可愛くて、使いたくなる。コーヒー。




 一つずつ一つずつ、増えていくのが嬉しい。カップを使う喜びと、選ぶ喜び。まだ、僕が思うに「一番、コーヒーがカッコよく似合うカップ」は買っていないのだけれど、早く欲しいなぁ。何度か出会ってはいるものの、タイミングが合っていない。それがズバっときたとき、買うと決めていますが。




陶器2


 全体の佇まい。真ん中がくびれている形になっています。本来コーヒー用としては、口が広すぎると温度が下がりやすくなってしまうので向いているとは思わないのですが、これは大丈夫そう。早く、コーヒーを注いであげたい。ゆっくりと、心を落とし込んだ、コーヒー。




 きっと、美味しい。ゆるやかな温かさを、手から感じられるように思う。また一つ、大切なカップが、ここに。




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 珍しく連休だったりするので、せっかくなので動き回りたい。どうしようかなぁ、変わった街に行きたいけれど。あ、ところで仕事の取引先の方がDIGAWELのギンガムチェックのブラウス(しかもドーバー限定)を着ていて、驚きました。「あ、DIGAWELですね、それ」と、つい言ってしまって。するとすぐに「ええ。ファンなんですか?」と返事が返ってきました。そうか、ファンね。そういう感覚か。それは言いえて妙かもしれません。




 好きだけでもない、特別だけでもない、ことあるごとに気になる。それって、ファンってことなのかもしれませんね。面白い表現だ。ま、僕は僕で、また別の捉え方をしているのだけれど。     arlequin