もう大変昔の話ですが

私に最初にお花を教えてくださった先生のことはお伝えしたいので・・・

15歳の春、高校1年の時からお茶、お花のお稽古がスタートしたのですが

お茶もお花も高来千秋先生という当時70歳を越えていらっしゃる後に勲章をいただかれた偉い方に教えていただきました。

いつも微笑んでやさしく教えてくださいました。

もう孫のような年齢の弟子でしたので

「お嬢ちゃん、このお花はどっち向いたらきれいに見える」と

私に尋ねながら私の作品の手直しをしてくださいました。

いつも私の個性を尊重して手直ししてくださったので私はお花のお稽古が好きになりました。

いつも微笑み、個性を尊重し、好きにさせ、花の真髄をなにげなく授ける。

今、考えてもこういう先生はなかなかいらっしゃらないのではないかと思います。

私もそうなりたいと思いますが。

この先生のもとでは高校3年の夏までお稽古させていただきました。

日本のいけばなと茶道がフラワーアレンジメントとテーブルセッティングに化けるのですが

高来先生はこの世界の扉を最初に一緒に開けてくださった方でした。



 私が育ったのは北陸の小京都といわれる金沢です。

今は日本全国なんでも同じようにある時代だけど

(時代なんて言葉使うとちょっと年とってるかな?と思われるけど

私が小さい頃は紅茶を日常的に飲む家なんてあまりなかったと思いますよ!

ケーキを食べる時だけリプトンの紅茶を飲んだ記憶があるけど

みんなが飲んでたわけじゃないと思います。

 大学が神戸だったんだけど

姉がD大学のヨット部にいた縁で 

琵琶湖でクルーザーに乗せてもらっていました。クルーとして? 毎週!

その時の私のお役目がお茶係です。

クルージングしてる時 キッチンでリプトンのティーバックで紅茶をいれるのが私の唯一の

お仕事でした。

風を切って走るヨットで飲む紅茶は今、思い出しても おいしかったわ!

また同じ時期に毎週月曜日の午後は

芦屋でピアノとフランス語の先生をしていたS・H夫人の指導のもと

ティーポットで紅茶をいれテーブルクロスのかかった素敵なテーブルでお茶する暮らし

をしていました。

このS・H夫人とクルーザーのオーナーとの出会いが今の私に大きな影響を与えた

と思います。

また、ゆっくりお話しますね!

 私の生まれた家は曾おじいさんかその前の代から宮大工で 建物をつくる家に生まれ

父が設計図をひいていたので マンガは買って貰えなかったけど建築雑誌だけはたくさん

あるという環境で育ちました。

毎月送られてくる雑誌を見ながら このキッチンの位置が良くないとかこれでは風の通り

が悪いとか

写真と平面図を見ながら空想の世界で遊んでいました。

この空想遊びが役立ったのか?

町田ひろ子インテリアコーディネータースクールに通っている頃

平面図を見るだけで3次元映像で私の頭のコンピューターが反応してしていました。

中学1年の頃は手縫いでフリルのあるカーテンを作って部屋を飾ってみたり

大学の頃の下宿は自分で棚を作りペイントしたり、手作りのカーテン、ベッドカバー、

クッションに観葉植物を飾ったりと訪ねてきた友人があっと驚く空間でした。

(今は下宿なんて言わないのかしら?)

今、思い出しても好きな空間なので 

人間の好みというのはあまり変わらないものかもしれませんね。

カーテン作るためにミシン買ってという大学生はあまりいないと思うけど

ミシンを使ってソファーカバー、ティーコゼを作ったりするのは今も続いています。