黄鬼です。カエル


頭の中が整理されていないので、はっきりするまでは書けないと思っていたのですが、一応ブログなんで、「メモ」として書かせてください。


「母親」について、キツイことを書いています。

気分が悪くなる人もいると思いますが、どうかお許しください。



例の平塚の5遺体事件について……。


当初、許されない愛ゆえの無理心中と思われていた事件が、どんどんおぞましい方向に進んでいってしまいましたが、私の中では納得、というかそれもありかもしれない…という気持ちが芽生えたのも事実です。


それは、「母性とは一種の暴力かもな」という感覚があるから。


いろいろな側面があると思うのですが、そしてそれをここでは細々と書けないけれども、でも、たとえば男社会の中で有効な、女の人が唯一持っている「屈指の強カード」は「母親」だと思うのですよ。


誰もそれを正面切って否定したり、傷つけたりできないはずだから。


人間は、(もちろん父親の存在があってこそですが)母親から生まれ、そして多くは母親の多大なお世話を受けて大きくなっているので、感謝にしろ憎しみにしろ、強い感情を持っていると思います。
つまりそういう意味でも、強く影響を与えているという意味でも、男社会の中で渡っていく時に、かなり有効な(=有利な)カードと言えちゃうと思うのです。


だから、男社会をサバイバルしていくには、その「母親」というカードをより強固にしていった方がいいわけで……。


要は「よくできたお母さん」「やさしいママ」「こんなイイ子を育てた母」「息子を東大に入れた母親」などなど、母親としての評価が、女性を生きやすくしているのも事実ですよね(「女の格付け」的にも)。

もう少しキツイ言い方をしてしまえば、その評価こそが、社会や家庭で「存在を認められる」ということにもなっており……。


だから、そうしたことを背景にして、「母親」カードの中でもさらに強い、つまり「絶対に誰にも何も言えない・言わせない“飾り”」をわざとつけていく方法を選択する人がいてもおかしくないと思うわけです。
つまり「病気の」とか、「子どもを失った」とか……。


もちろん、そんなことをわざわざやる人はいません。

いないと信じたい。
でも、自分が認められたい故に、「そこ(社会や家庭)で生きていてOKだよ」と太鼓判を押してもらいたいが故に、子どもを犠牲にしてしまう人がいることも、確かに存在すると思ってもいます。


「あなたのために」という言葉は、本当に子ども自身に向けられているのか。
「屈指の強カード」である母親という権力を持っているからこそ、理性的に、客観的に、時には振り返る必要があるんじゃないのかな、と感じます。



な~んてことを、子どもがいない私が考えても、きっと受け入れられることはないだろうな、と思います。
「子どもを産んだことのない人にはわからない」「子どもがいない人にはわからない」
これも、“母親カードを振りかざす人”の決めセリフなので……。


もちろん、スネて言っているわけじゃないですヨ。
こう言わせている家庭環境や社会に腹が立つだけです。


母親である前に、名前を持った尊重されるべき一個人でしょう?