「地域№1サロン」「カテゴリー№1サロン」請負人の清水ヨシカです。

両親を“隠し撮り”しました(^.^)。とても厳しかった父も今はすいぶん優しくなりました。


友人から連絡


有難いものです。

「相変わらず忙しいんか?」

学生の時からの友人なので

もう30年の付き合いになります。

年に1回か2回とかしか会わないんですが、

違う業界で

お互いに刺激し合い、

たまの情報交換。

僕は元来無精なこともあって、

だいたい彼からの連絡を僕が受けることになっています。

ブログを読んでいてくれるようで、

彼の凄いところは

その文章で

僕の心が見える(と僕は思っています)ようなんです。

ここぞという時に

連絡をくれる。。

友の存在は有難いです、本当に。

昨日は、


「最近、ブログの更新されてないなぁ・・」と言われました^^;






僕は、

お世辞にも裕福とは言えない家に生まれました。

両親は共働き。

保育園というものには行かず、

幼いころは両親が働きに出ている間は家で留守番。

その間、僕がしていることは

「絵を描く」こと。

母が油絵が好きで、家には母が

“我流”で描きあげたキャンバスが


4~5枚飾ってありました。


その影響もあってか、

スケッチブック・・・

ではなく

母が集めてくれた


新聞折込広告の裏が印刷されていないものに

ひたすら絵を描くのが“日課”になっていました。


毎日、毎日、毎日、、、

乗り物や動物、昆虫などの絵を描いていると


それなりに“上達”し、

母親は夕刻に家に戻ると

僕の絵を見て

「上手に描けたなぁ!」と褒めてくれました。


母は褒める女性でした。

僕は嬉しくなって、毎日描きます。


毎日、毎日、褒めてくれました。




1番上手。



幼稚園に行くようになって

クラスで凧揚げの凧を作って飛ばすイベントがありました。

“作る”

と言ってもそれは


組み上げれば出来あがる代物で、

僕らがすることは

凧の胴体部分のビニールシートに絵を描くこと。


それを飛ばして、

地上から皆が描いた絵を

親も参加し、皆で観るというイベントです。


僕は鷹の絵を描きました。

僕は絵には自信がありました。

今から思えば幼稚園レベルなので大したことはないのでしょうが、

先生も友達も

「上手いなぁ…」「カッコいいなぁ…」と言ってくれます。

この日は母親が見に来てくれました。




僕は母親に褒めて貰いたかった。




母は僕の傍へ来て

「あんたのが1番上手に描けてるわ」

と言ってくれました。

親バカです(笑)。



しかし、

僕にとって最高のメンターだと思います。

僕はその時思いました。

「1番ってええなぁ」と。



“1番”、“№1”への拘り。



僕が1番や№1に拘っていることは

近しい方々はご存じの通りで、

それは“尋常ではない”レベルのようです(笑)。

人から笑われたり、呆れられたりするので。。。

下駄箱の1番、車庫の1番、、、数字のつくものは努めて“1”を選びます。


少年野球部に入る時、

「背番号1でないとイヤです!」と僕は監督に直訴しました。

当時、プロ野球界のスーパースターはジャイアンツの王貞治さん。

少年野球では普通、「1」はエースナンバーですが、

僕は譲れませんでした。

この時も母は

「1番になって、良かったなぁ!」

言ってくれたのを覚えています。



今の僕を形成する上で

母の存在は大きい。

母は威大です。

いつも褒め、いつも笑顔で、大らかで。

とても感謝しています。



僕の永遠のヒーローである

王貞治さんと同い年の母。

いつまでも元気でいて欲しいです。


あのキラキラの笑顔を見るために

僕は1番を目指します。

№1になります、ならないといけない。



母からまた


「1番になったんか!良かったなぁ!!」


と言ってもらえる日を夢見て。