2019/07/30 | あゆと月明かりと駆け出しレース

あゆと月明かりと駆け出しレース

役者・名嶋あゆみの毎日。

久しぶりにブログを開いてみた。

劇団ショーGEKI夏祭り20周年公演「ダンパチ17縁」無事に終演しました。
ご来場くださった皆様本当にありがとうございました!!


で、そのことはツイッターで諸々書くとして今回はとても個人的なお話。

あんまりこういうことは書かないようにしているのだけど、今回は心に留めておくだけにはできそうにないので文字にすることにします。
暗い話が嫌いな方なこのままお戻りください。









7/25 祖母がお空へ旅立ちました。
訃報を受け、7/26に始発で和歌山に帰りました。

原因は血液がんでした。

人生で一度も入院したことがないと自慢だった祖母が、80代後半で発症して、抗がん治療を始めました。

東京にいる私は、舞台が続いて、なかなか和歌山にも帰れず、
旅公演で、和歌山公演がある時に一泊だけ会いに行くというくらいしかできていませんでした。

小さい頃はよく帰って、いとこと会ったり、
ひろーいあの家でおばあちゃんといる時間が好きで、帰省は楽しいものでした。

掃除家事、気遣い、細かいことなんでも丁寧にする祖母でした。


久々に会った祖母は背中が丸まり、さらに小さく見えて、
それでも私はマイナスな感情にとらわれるのが嫌だったので、病気の部分にはあまり目を向けないようにしていました。

2ヶ月前に入院してから、そろそろ危ないという話を聞き、なるべく時間を作り1・2週に一回日帰りで和歌山に戻りました。

検査結果を家族で病院で聞いた時、
その時点でもう、右脳が8割真っ白で、ガンにやられていました。

余命はあと1ヶ月とのことでした。

一番近くにいる叔父と、家族みんなで、もうこれ以上苦しませないためにも延命治療は止めることになりました。
(抗がん治療は、本当に、副作用が辛いようで、祖母もとても嫌がっていたようです。)

かすかな声で会話ができていた祖母も、
週またぎに会いに行くたびに、どんどん病状は悪化し、
言葉が出なくなり、右手だけが動かせる状態で、
飲み物も口から飲めず、
点滴だけになりました。

それでも目だけで、
耳は少し聞こえているようなので、ひたすら話しかけていました。
(私が話せるのは舞台のことばかりでしたが。)


入れ替わり立ち替わり親族が見舞いに来るので「自分はもう長くない」と悟っていたようです。

誤飲の可能性があるため水分も口から取れず、
意識はあるのに体は動かせず会話もできない。

痛みと時間だけが過ぎていくであろう祖母の姿に、

なぜ、安楽死という選択肢が彼女にはないんだろうと、日本の制度を恨んだこともありました。

死んで欲しいわけじゃない
でも、こんな状態で、意識あるのに、
したいことできず、
ずっとベッドの上で。


なんかの記事で、VRで自分の家を映して、まるで家に帰ってきたような感覚にさせてくれる機械ができたと。

ああ、今のおばあちゃんに見せてあげたいなぁ


そんなことを思いながら毎日の電車に乗って。


今の時代やっぱすごいな、って思ったのは、
週末になんとか和歌山に帰る父が、LINEのビデオ通話で祖母を写す。

家族の顔も見れて、
遠い病室の祖母の顔も見れる。

ありがたい機能だなと今更ながら文明に感謝しました。


訃報を受けたのが
ちょうど、舞台本番2日前。
なんとか休みもらって和歌山に帰りました。
本当だったら次の日の葬式まで出たかったけれど、当日は舞台の本番だから流石に難しい。
しかも台風きてるし。


通夜だけ出て、
何もお手伝いできず
ごめんなさい。

でも、ここはもう甘えていいやと思ったので最大限に甘えました。


こういう仕事をしてると、親の死に目に会えないっていうけれど、
…覚悟していたことだけど。


ひろーい部屋にすでに納棺士の方がメイクをしてくれていました。

祖父が死んだ時、
納棺の際、触った身体が、まるで保冷剤のように冷たく驚き恐怖を感じたのを思い出し、

なぜ、この仕事をこの方は選んだんだろうと、綺麗にしてくれている納棺士のの方を尊敬しました。

祖母は可愛かった。


魂が抜けてしまった祖母の身体を見て、
泣くまいと思ったけど、
やっぱり耐えられなかったので別の部屋に行きました。

親族が集まり、団結している名嶋家を見てまた尊敬し、
いずれ自分もその立場になる恐怖をなるべく考えないように、
平常心を保とうとしました。


お通夜だけでも、出られて本当に良かった。

劇場で、葬式の時間に手を合わせました。

死んだら魂は、その人の自分、という感覚は何処へいってしまうのだろう。


それでも、
私の心の中には今でもずっと、その時の祖母が生きて映像として見えるのです。

自分が年をとるにつれて
周りもどんどん変わっていく。


大人になるってそういうこと。

7/26
始発の新幹線の中で虹が見えました。


本当に一瞬。

パッと目が覚めて窓の外みたらあったので携帯で撮ったら
一瞬で消えました。


こういうことって重なるものなのだ。


私はこの虹を忘れないだろう。


余命宣告されてから2ヶ月も生きてくれました。

家族親族を繋いでくれたおばあちゃん。

ありがとう。
またね。