新旧が混在する街『解放村(ヘバンチョン)』を歩く | ゚*❋⁎ Chinacoの What a beautiful day *❋⁎ fun fun traveling❤︎

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海外旅行大好き!の会社員です。
旅先で見つけた素敵なもの、出会った人、
その地で感じたことを旅の備忘録も兼ねて書いています✩⃛ೄ

【Feb 2020 Seoul韓国

今回は、ちと長いです。
私には珍しく観光ネタなのですが
よろしければお付き合いください。

幾度となく訪れているソウルには
まだまだ未知の世界があります。

そのひとつが
解放村(ヘバンチョン)
2018年にNHKで放送された
草彅剛さん出演
”ニュースな街に住んでみた~韓国編”
私に強烈なインパクトを与え
その断片的な画が
私の脳裏にずっと焼き付いていて
ずっと行きたい、と思っていました。
だけど、何だろう…
直ぐに行けなかった、というか
行くには勇気が必要だった、というか
悲しい歴史の上に
少しずつ明るい未来がつくられた街だから
はしゃぐ気持ちで訪れる場所ではないと
思っていて足が向かなかったのです。

2月の渡韓のある日、
朝起きたらとても気持ちがクリアで
解放村、行ってみようかな
自然に思えたので
気持ちのままに行くことにしました。

地下鉄4号線淑大入口駅を下車し、
3番出口から南山方面へ歩きました。
解放村に向かう道中で
PICを撮りながら歩いていると
ふいに思い立ってブログを更新したくなり
UPしたのですが

旅をしている時のChinaco嬢のブログの言葉が本当に素敵です!
という嬉しいコメントを頂きました。

実はこの時
「何故、私の気持ちが穏やかだと分かったのか」
コンブ師匠ピンク薔薇の察知能力に驚いたことを
鮮明に覚えています。
元々、解放村
朝鮮戦争後、南北が分断され
北へ帰ることができなくなった人たちが
定住した街で
山手で、住むには不便な場所でしたが
ここで暮らすことを余儀なくされました。

なので戦後は、
バラック小屋が密集するタルトンネ
(主に高台にある低所得者層が多く住む地域をいう)
でした。

当時の住人たちが故郷への思いを込め
解放村と名付けたという歴史があります。

また解放村の龍山エリアは
日露戦争時代には日本軍の基地があり、
軍の街でもありました。
なので一時は、一大日本人居住地となったと
いう歴史もあります。

名所でもある通称108階段
過去の日本統治時代に建てられた
南山の3つの神社の1箇所
「京城護国神社」へと続く石段として
作られました。
今は、もう神社は現存しませんが
階段にはエレベーターが併設され
住民に使われています。

私は、敢えて歩いてみたくなり
急勾配の108段を何とか登り切りましたが
息が上がりましたDASH!
現在は、外国人居住者も多く
お洒落なレストランやカフェ、バーができ
新旧が同居する街として
数年前から着目され
若者にも人気がありますが
どこか切なく
寂しさが鎮座しているような雰囲気が
ありました。
時は流れて
新しい時間が刻まれていくことは素晴らしい。

だけれど
根本にある悲しい時間のことも
きちんと知っておかないといけない、
と思いました。
ソウルは、今もなお
あちこちで再開発が進んでいて
その加速度的な変化に
驚くことも少なくないのですが
この解放村は、
昔の面影がまだまだ残っていて
少しづつ、少しづつ
変化していくことが
街の空気や時間の流れに
合っているのだな、と感じました。
そしてこの街を愛する
次世代の人々の手によって
かつての面影を尊重しながら
新たな歴史を重ねているのだな、と。
急な坂や階段の多い路地の合間には
新しい赤いレンガ低層住宅が
ひしめき合っていますが
古い住居もまだまだ残っています。
昔からの住民も住んでいらっしゃいますが
ご高齢の方は、元北部出身で
定住した方とそのご家族だそうです。

しかし、芸術家やクリエイティブな
若者も多く移り住むようになり
人も新旧入り混じった街となりました。

歩いている途中、ご近所の集まりなのか
楽しそうに談笑する
5〜6人のおじいさん、おばあさんに
遭遇したのですが
どデカいサングラスをしていた私が
奇妙だったのか、
はたまた日本人だと分かったのか
一切に皆さんの目線が
私に注がれました。
一瞬、ドキッとしたのですが
道を引き返すわけにもいかず
(そんなことしたら余計に怪しいし)
そのまま、ズンズンと進み
サングラスを外して
アニョハセヨ」と挨拶すると
微笑んでくれました。
道の所々には、地図が設置してあり
歴史について書かれていました。
忘れないで、と街が語っているかのように。
このアートに彩られた民家は
フォトスポットとしても有名ですが
この他にも壁画は幾つもあって
芸術的な一面もこの街の魅力に
なっています。
先に書きましたが
どこか物悲しい街ではあるけれど
不思議と
心は落ち着いて
私は歩を進めるごとに
むしろ温かい気持ちが膨らんでいきました。
長い間、訪れることを躊躇していましたが
2月のこの時が
私のタイミングだったのかもなぁ。

そして行ってよかった
と心から思いました。

帰りは、歩き疲れもあったので
エレベーターに乗りました。

このあたりに住んでいる(であろう)
中学生くらいの女の子2人と
同乗したのですが
到着すると「開く」ボタンを押してくれて
「どうぞ」という仕草をして
私を先に降してくれました。

街の歴史から
人に優しくすることを
当たり前に学んでいるのだろうな、と
思いながら
「カムサハムニダ」とお礼を伝えました。

辛く悲しい歴史の中から生まれた
優しさや温情がある解放村
魅かれてやってくる人々が
古きを理解しながら
これからもこの街を
活性化していくことでしょう。

私は、お散歩をしながら
いくつかのお店に立ち寄ったので
それは個別にUPします。