こんにちは。
三重県津市でオーラソーマ、九星氣学風水、スイソニアのサロンShining☆Hope伊藤結悠子です。
昨日8月8日ライオンズゲートの日は、私のおじいちゃんの命日でした。
私のおじいちゃんはかなり豪快な人でした。
そして人生は波乱万丈でした。
おじいちゃんは戦争で満州に行っていました。
仲間はほとんど戦死したようですが、おじいちゃんは無事に生還。
家には戦争で使った血がついた刀がおいてありました。
お肉屋さんを営んでいましたが、私が小学生にあがるころに倒産しました。
それまではおじいちゃんの家で一緒に生活をしていましたが、倒産後、私たちはアパートに移り、そして後に家を買いまた引越ししました。
土曜日も日曜日も両親は仕事だったので、私は小学生の頃はだいたい週末はおじいちゃんやおばあちゃんと過ごしていました。
最初にもいいましたが、おじいちゃんはかなり豪快。
朝から日本酒を飲み、私にビールを飲ませたりするような人。肉屋さんだったのに釣りが好きで、
よくおじいちゃんのカブに2人乗り(今じゃありえない)して、海に釣りに行ってました。
後は、よく休みの日には
長島スパーランドや、菖蒲池の遊園地にも連れて行ってもらいました。
多分月一ペースくらい。
※遊園地に行っても都はるみショーとかみて、温泉に入って、ゲームセンターに行ってのパターンです。遊園地では遊んではいません😆
後は競艇が好きだったのでそこにも連れていかれました。
もう豪快すぎて、声はでかいし、基本酔っ払ってるしで、、、
そんなおじいちゃんですが、孫で女の子は私
ゆうこちゃんのみでしたので、ものすごく可愛がってくれました。
後はみんな男の子。
私はこんな豪快なおじいちゃんにわがままにそだてていただきました。
ただ、本当に生前おじいちゃん孝行はできませんでした。
私が22歳の時におじいちゃんの家が火事になり、おばあちゃんが亡くなってしまいました。
そこからおじいちゃんは本当に元気がなくなり、
毎日おばあちゃんが亡くなってからの日数を数えていました。
そしておばあちゃんが亡くなってからは生きていてもしょうがない、とよく言っていました。
ただやはり身体は強かったのです。
が、ある日タクシーに乗っている時に追突事故にあい、みるみる元気がなくなりました。
元気になりたい気力がなかったのでしょう。
そしておばあちゃんが亡くなって3年後におじいちゃんもなくなりました。
それが8月8日。
ものすごい雷の日で、おじいちゃんらしいなぁと思いました。
本当に遅すぎますが、亡くなってからおじいちゃんの愛情を感じています。
将棋や花札も教えてくれたなぁとか、
日本酒好きはおじいちゃんのDNAやなとか、
戦争→倒産→火事→事故
おじいちゃんの人生は波乱万丈でしたが、私にとっては色々なことを経験させ、教えてくれたおじいちゃんでした。
おじいちゃんありがとう。
よく一緒に釣りに行った海の近くにいまのサロンがあります。
これも不思議なご縁です。
長くなりましたが毎年この日はおじいちゃんを思い出す日です。