先日、外国人のお友達の結婚式にお呼ばれしてきました。

 

大変立派な披露宴で、参列者は200人くらい。

その中で、日本人は10人もいませんでした。

 

 

民族衣装を着た花嫁の美しいこと・・・ラブラブラブラブ

 

日本の一般的なスタイルで行われた披露宴ですが、

参列者も民族衣装の方が多く、異国の言葉で進行される様子は

日本人の結婚式しか経験のなかった私にとって『ふつうとは少し違う』感じがしました。

 

 

例えば、

民族衣装の足元(靴)は、ビーチサンダルのようなものが基本です。

 

ご両親は参列されておらず、2組のご夫婦がご両親の代理を務められていたり

(後日母国でも結婚式を行うので、ご両親はそちらに参列されるようです)

 

乾杯の前に、司会者が延々・・延々・・と話をしていたり

(仏教国なので、仏の教えや感謝の言葉などを話されていたみたい)

 

そして結局、乾杯しないまま、新郎新婦がお色直しに退場されました。

(これ一番のびっくり)

 

その後は、新郎新婦不在のまま各テーブルごとに自由に乾杯。

 

お色直し後の後半は、大きな飲み会みたいに盛り上がり、

途中からは、各自流れ解散。

 

 

もともと大らかな国民性で、

飲んじゃうとルールや進行に従えなくなるから

大事なことは前半に済ませる。

 

…んだそうです。

 

理にかなってる(笑)

 

 

日本の結婚式で、よく帰り際に渡されるお菓子も

受付した時にすぐ頂いて、何でかな?と思ったけど、納得しました。

 

 

最後の新郎新婦の退場時には、半数近くの席が空いていたし

結局最後は、

閉式の言葉を待っていた私たち日本人達だけが

会場にポツンと取り残されちゃった感じでした(笑)

 

 

ちょっとゆるくて、とても自由で

幸福で、すごく温かな結婚式でしたウエディングケーキラブラブ

 

 

 

 

 

帰り道、ハッと

 

自分の思っていた『ふつう』って、『ふつう』じゃなかったんだな

『ふつう』とか『ふつうじゃない』とか、それ自体が本当は『無い』んだな

 

と思いました。

 

自分が勝手に思考の枠を作って、勝手に制限してただけ。

私にとっての『ふつう』は、誰かにとっては『ふつう』じゃない。

 

『正しさ』『常識』『当たり前』とか全部、

自分が勝手に枠を作って、その小さな枠から見てた世界なんだな って思いました。

 

 

 

これまで如何に『ふつう』という概念に囚われていたか

 

どれだけ自分の物差しで他人を見ていたのか

 

なんて小さな世界で、私は生きてきたのか

 

この小さな枠や物差しを使って

これまで、どれだけのことをジャッジしていたか

 

どんなに人を傷つけてきたか

 

どんなに自分を苦しめてきたか

 

 

 

うまく言葉にできないのですが

 

ガラッと意識がひっくり返りました。

 

 

 

 

翌朝

 

空が真っ青で、

白い雲が大きくたなびく様子を見て、ああ天使の羽みたいって思って

 

なんて世界は広いんだろう

この先にまだ宇宙があるんだな って思ったら

 

 

心がわーっと熱くなって

震えて感動して

 

通勤中だというのに、涙が溢れてしまいました。

 

 

 

自分に変化が起こった夏の日から

毎日のように涙が溢れます。

 

 

悲しいのか嬉しいのか

後悔なのか期待なのか

恐れなのか希望なのか

 

この感覚が何なのか、よく分からない。

 

 

でも、心が震えているのは分かります。

 

 

何かが変わったあの日から

感じ方とか見え方とか、どんどん変容している気がします。

 

 

 

私の部屋の窓から見える、都会のビル群も

日々少しずつ質感が変わっていて

 

ホックニーの絵のように見えたり

ホッパーの絵のように見えたりします。