だんだんと、すごく個人的で、自分が勝手に考えていることを書いていこうと思う。
結局今日はユニクロで手袋を買ってきた。
それと、Fuerza Brutaというものを知った。衝撃的だった。
フエルザブルタというのは、ニューヨークでやっているショーのこと。
テレビで流れて、その映像と、番組的な最低限の説明を見ただけだけど、
演劇として紹介されていた。
やっている場所も、オフブロードウェイだ。
だけど個人的にはこれを演劇と呼んでいいのか、少し迷っている。
俺の知っている演劇とは、かけ離れすぎていた。
でもこれが演劇ならば革命的で無茶苦茶面白いことになるから、
このブログを書きながら、自分でこれは演劇なんだと納得したいと思っている。
全部に共通してるんだけど、このブログで書くことは誰かに読んでほしい内容じゃない、
これは自分のために書いてるブログです。
演劇とは、演技をしている役者がいて、それを見ている観客がいるもの。
最低限の定理としてはこれだと思うから、そういう意味では当てはまる。
じゃあお笑いのコントは?ディズニーランドとかでやっているショーは?
これは、初めて演劇を見たときから思っていることであり、
ことあるごとに役者やってる人に聞いていること。
笑いを取りに行った演劇と、お笑いのコントに差はあるのか?
演じるということが芯でなくても、ディズニーの方が演技に対してのプロ意識が高いってこともあるだろう。
結局、これについては答えが出てはまたわからなくなっての繰り返し。
わからないまま、新たにフェルザブルタというものを知ってしまった。
この演劇では、観客は立ち見で会場の真ん中にいる。
役者は真上も含めた四方八方色んな所に登場して、魅せる。
サーカスのようにも見えたし、すごく抽象的な美しさも見えたけど、ストーリーがしっかりとあるらしい。
そして最後は観客を巻き込んで大団円を迎える。
まるでパーティーだった。
演劇はもっと自由になるべきだと思っていた。制限など要らないと。
映画では、スクリーンを飛び出すことはできないけれど、演劇ではできるじゃないか、と。
でもそれは、紅白であるように客席の通路を使ったりとか、そういうレベルでしか考えていなかった。
もっと自由になれば面白いのにと思っていたけど、
その想像の中ではあくまで舞台があったし、客席があった。
フェルザブルタでは、会場を作るところから始まっていた。
この演劇のために会場は組まれているんだろう、間違いなく。
この発想は衝撃的だった。隣の星の文化を見たみたいだった、わけがわからなくなった。
演劇って、古典だと思っている。それこそ、音楽の演奏会のような感じ。
演じるということは、もしかしたら人間がしゃべれる前から行われていたかもしれない。
最も初期のころから、職業としても存在していただろう。
音楽もそうだ。ドレミを発見したのはピタゴラスらしい。
音楽は、楽器という道具の進化に伴ってその形を変えていった。
黒人音楽が革命を起こして、70年代のコンピュータの登場が革新を起こした。
今はライブという新たなジャンルも登場して、映像や光やあらゆるものを音に乗せて魅せている。
モーツァルトの時代とはだいぶ違うだろう。
今は、古典を追及する演奏会も最新を突き詰めるライブもある時代だ。
具体的なことは知らないけど、どちらかがなくなるって事はないだろうし、
古典楽器でライブをすることも、エレクトリックな演奏会もあるだろう。
一方で、演劇はどうか。
今の演劇の姿と、2000年前の演劇の姿に、何か決定的に違うものはあるだろうか。
そういえばひとつ思い出した。
俺の書く文章はめちゃくちゃ長い。
ってことで、次回に続こうと思う。
気分が変わって、続きを書かない場合もあるけど、
楽しみに待っててくれる人はいないから別にいいよね。