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お金を貯めたいけど、なかなか貯められない方に、お金が貯まる貯金脳になるちょっとしたコツをお伝えしているお金の専門家、c-killerです。
今日も歴史の話。米国大統領選挙に絡んだまことしやかに陰謀論が言われていますが、日本にも陰謀論みたいなのはないのかな?と調べると。そう言えばシーボルト事件があったなと。
ちょっと考察してみました。お付き合いください。
教科書も出てくるシーボルト事件なので名前は良く知っていますが、そもそもシーボルトってどんな人?
フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)はドイツの医師・博物学者。シーボルトの祖父も父も医師で、医学界の名門一家で育します。1823年に来日し、鎖国時代の日本の対外貿易窓であった長崎の出島のオランダ商館医となりました。
ドイツ人であるシーボルトはオランダ語が下手だったようです。発音は日本人が話すよりも不正確だったので、本当にオランダ人なのかと怪しまれもしたが、「自分はオランダの山岳地方出身なので訛りがある」とその場を切り抜けたらしいです。オランダは干拓によって出来た国なので本当は山地などないんですけど、そのことを知らない日本人にはこんな言い訳でも通用したそうです。
さて、シーボルトは1824年に鳴滝塾を開いて西洋医学(蘭学)を教え始めます。教書にありましたよね。塾生には高野長英・二宮敬作・伊東玄朴・小関三英・伊藤圭介などがおり、その他日本各地から来た医師や学者に講義しました。シーボルトは塾生に医学を教えながら、日本の地理、歴史、言語、宗教、美術、政治、経済など諸分野について、塾生に課題を与えてレポートを提出される事で調査していました。
シーボルトは、植物研究にも熱心でした。1825年には出島に植物園を作り、日本を退去するまでに1400種以上の植物を栽培しました。ジャワ島での茶栽培はシーボルトが日本から種を送ったのが始まりだとされています。
シーボルト事件の概要
① 船積み荷物発覚説
1828年にシーボルトが帰国する際、荷物の搬送のため先発させた船が難破。積荷の多くが海中に流出して一部は日本の浜に流れ着いたが、その積荷の中に国外に持ち出すことが禁じられていた日本地図などが見つかり問題になりました。地図返却を要請されたがシーボルトでしたが、それを拒否、出国停止処分を受けました。
江戸の学者たちとも広く交友をしていたシーボルトは、幕府天文方高橋景保とも交友しており、シーボルトがルーゼンシュテルンの『世界周航記』などを贈り、その代わりに、高橋景保が伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』の縮図をシーボルトに贈っており、高橋とその他の交友が捕らえられて取り調べを受ける事になりました。
シーボルトは訊問で科学的な目的のためだけに情報を求めたと主張、捕まった多くの日本人の友人を助けようと、残りの人生を日本に留まることで人質となることさえ申し出ましたが、受け入れられずに地図を贈った高橋景保ほか十数名が処分され、景保は獄死(その後死罪判決を受け、景保の子供らも遠島となりました)。1829年にシーボルトも国外追放の上、再渡航禁止の処分を受けました。
② 江戸露見説
1996年に発表された論文で、これまで通説だった暴風雨で座礁した船中から地図等のご禁制の品々が発見されたという説が後日の創作であることが判明しました。論文では、座礁した船の臨検もなくそのままにされ、船に積み込まれていたのは船体の安定を保つためのバラスト用の銅500ピコルだけだったそうです。事件は江戸で露見し、飛脚で長崎に通報され、長崎奉行所がシーボルトを取り調べて様々な禁制品が見つかったと述べられており、オランダ側の資料とも一致する内容となっています。
シーボルトの陳述は多くの友人と彼を手伝った人々を救ったといわれている。しかし、日本の地図を持ち出すことは禁制だと彼自身知っていたはずであり、日本近海の海底の深度測定など、スパイの疑惑が晴れたわけではありません。シーボルトの情報収集行為に疑問を抱いた弟子の高野長英が来日の理由を問いただしたところ「“自分はコンテンス・ポンテー・ヲルテ”(機密調査官スパイ)とラテン語で答えた」と、長英の新交のあった田原藩家老で画家としても知られる渡辺崋山は「崋山全集」に書き残しています。
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