フィリピン人は、ライス大好きダヨ。 | 浮世離れした、半世捨て人のブログ

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“ 暑くて、やってられねぇ〜 ”

居酒屋で中生ジョッキ2杯空け、その酔い心地での与太話だと思ってください。

 

 

ここフィリピンへ来て6年、

「どーしてそーするの?」、

「どーしてそーしないの?」、

そんなギモンをもたない日、

1日もありません ((笑

 


ただ、

全てではないものの、

「では、どうして日本ではそうしないのか?」、

それが答えの代わりになることもあるんです。

 

 

昨日の記事にブロ友さんから、

「どうしてそんなにご飯を残すの?」、

というコメントをもらい、

ボク自身もフィリピンへ来て以来、ずっと不思議に思ってはいました。

 

 

ここフィリピンで、

米粒は「Bugas」、

炊いたご飯は「Kan-on」/発音難しいです、

そのお焦げは「Dukot」

特定の呼び名があるということは、それだけ身近な食材なのです。

 

日本では「お米」、

炊いたら「ご飯」、

そして同様に「お焦げ」、

ともに「御/お、ご」が付き、

ずっと長くに渡り食料であり、

江戸時代までは「石高」で表され、お金、権(勢)力、兵力をも表しています。

 


 

日本昔話の主題は二つ、

「正直であること」と、

「冬を越す/正月を迎えること」、

(春まで生きのびるの意味で)

 

11月から4月までは収穫も無く、秋にリスが木の実を蓄えるように、準備する必要があり、

生きるか死ぬかが掛かってくる、とても大切な準備になります。

 

その準備は収穫期から逆算し、1年という「円」を描き太陰暦で割振り、二十四節気のような、準備するための基準を作ります。

 

今でこそ、

米粒が大切だとはあまり口にも出さず、聞きもしなくなりましたが、

その当時は、

生き残るための「お米」。

 

 

 

ここフィリピンでは、

1年365日、夏と真夏、

「いつでも」は大げさですが、食べ物はそれなりにはあり、飢え死も、凍え死ぬこともありません。


ですから、

「米はコメ」であり「御」は付かず、最初の扱いからして違ってきます。

 

 

 

フィリピンの友人から、

食事に呼ばれてご馳走になり、あるいは、フィリピン人同士で食事を振る舞い、

必ず発せられる言葉、

 

  「Busog naka?/お腹いっぱいになったか?」、

 

返事も必ず、

「Busog nako/お腹いっぱいになりました」で、

 

これは裕福であれ、貧乏であれ、誰でもが全く同じやりとりをし、満腹(という刺激)が目的になっています。

 

  

日本の場合は、

お互いに、

「美味しかったね」となるでしょう。

 

 

そして、

相手の満腹になることが大切(目的)ならば、

自ずと多めに作ることとなり、満腹の副産物のような形での、

「大量の残飯」となります。

 

 

フィリピンでは二毛作、

場所によって三毛作だったり、ですがどちらも年間集計すると、収穫量があまり変わらない、そんなこともあったり。


ある日本人オーナーは、

「その土地の持ってる実力なんでしょうね」と。

 

そのオーナーさん、

農夫さんたちから、

「作付け(田植え)させて」と言われると、

収量が変わらないのは知りつつも、彼らの労働収入のためでもあり、今後の付き合い(人間関係)を考え、

首を縦にふるそうです。

 

品種改良の遅れ、

急勾配で小さな田んぼも多かったり、

効率的農業まではなかなか大変です。

  

 

そして、


今でこそ違うようですが、

フィリピンは数年前までは、

世界一の米輸入国、

 

  

知れば知るほど、

 

つい腕組みしてしまうんです。