それにしたって
まっこと奇怪な
矛盾した行動であることを
知ってはいるのである。
どのような態度で何もしないかは良いにしろ
どのようにして何もしないかを考えているのだから。
言葉のあや、のような側面がある。
何もしない
というのは単に客観的視点からの見方であって
主観的には違うのだ。
とはいえ主観的に何をしているのかと尋ねられれば、
考えている
と答えるのであって
考え方を考えていると言われれば
あながち間違いではないけれど
言葉の形は少しだけ違っているし
そもそも整理された考え方に対する考えは
後々すぐに捨てることもわかった上での行動なのであって
ますます意味がわからないことなのだ。
これだけこねくり回しておいて
これらの行為、思考を
思いっ切り無駄
だと言い切る、ということ。
わかってはいても、
どうしても起こることである。
治せるものなら治したいところだけれど
どうしても無理なようだ。
だとしたらもう、
この無駄を含め諸々思考すべきであるという結論だけが
唯一の論理。
非論理を基にした、論理。