つらつら/ドリエル | ストイックタンタン(仮)

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丁度、こんな夜だったような気がする。

そのときは知る由も無かったけれど、

無為と失敗の大学生活にけりをつけるきっかけになる

映画の脚本

の小説を、

2時間くらいで書いた。

昼間の活動の方が基本的には多いから

なるべく早く寝るのが一番なのだけれど。

その後には失敗と大失敗の、生活が待っていたのだけれど。



初期衝動で

ぶわっ

と書いたものを

一旦読み返して

昼間の頭で論理的構築を試みて、

構築のときに使った論理の下敷きをうっすら残した上でもう一回

ぶわっ

と書いて、

もう一度論理的構築をする。

とそこそこ考えた脚本が出来上がる

という頭の中のリズムというものが

私なりの書き方というものがある。



丁度こんな夜に、

大好きだった多部未華子さんに出演してほしい

小説を書いた。

その情景だとか色々は、

翌朝も褪せなかったから撮ることにして、

何だか勿体なかったから、

一年かけてその小説を映画にした。

たったの、10分間の映画だった。

たった10分のために、1年かけた。



と書くと、自然とスガシカオが流れ始める。



途中で投げ出したくなることも無く、

ただただ自分の無力さと、

少しずつの成長を感じつつ、

奨学金だけで生き延びた。



と書くとただの駄目人間だけれど、

実際駄目人間だったし今もそう。



ただただ、

納得出来なかったことだけ覚えている。

小説を書いても、

描きたかった初期衝動は、

自らの抱いていた感情は、

言葉ではなかった。

それを脚本にしても、

やっぱりその感情は、

ト書きにしても、台詞にしても、正確さを欠いた。

拙い絵コンテにしても、

線や影はその感情を表すことは不可能で、

そのまま、撮影を迎えた。

そのまま、撮影は終わった。

編集でも、そのまま、その感情は表現出来なかった。

奇をてらったものにしてみたけれど、

ただのこけおどしでしかないということは、

私自身一番わかっていた。




いつからか

他人に対して悔しさのような感情を覚えることが、

全く理解出来なくなってしまった。

自分自身に対してしか、悔しさを覚えなくなった。

他人と話を合わせるために、

そろそろクリスマスだから福山雅治になっておかないとマズいんだけどなぁ・・・

俺福山になってないんだよなぁ・・・

と笑えるかどうかスレスレのラインのボケをかましてみたりはするけれど。



とある他者がこうあってほしい

という感情が強い。

正しい、という言葉は適切ではないけれど、

私の書く人々は皆、正しくあろうとしていて、

その正しさが軸であり、初期衝動であると思う。



孤独による諦め、による良い意味の自壊が、

私の中で育ちながら、

次第に顔を出していくものだと思っている。

それは他者に対する願望などではなくて、

それこそが私自身が書くべき、

最も説得力を持つ、

感情なのだと思う。



3年前の丁度こんな夜に書いた作品のタイトルは、

8

だった。



私は今、

もう一度、

3年前とは違う、

8を撮ろうとしている。