実際のところ、
「青春」という映画自体私の青春観であるものの
改めて文章化することで最後の思考整理に代えさせて頂こうと思いつつ。
私自身のハイライトのようなものにもなる、でしょう。
写真は、敢えてやめておこうと思います。
どうやったって何かを書いたり、撮ったりすることを軸に
自らが進んでしまうことと
その軸に対する断続的な、
無知ゆえの不本意な失敗がありました。
嫌気が差してその軸から離れようと試みるも
どうしても不可分であることを
悶々とした感覚と共に悟る。
という振り子のような反復運動のことを
私は自分自身の青春と定義出来ます。
自らの軸の性質を理解したとき、
主観的な感触としては
私自身を諦めてしまったとき、
その反復運動は終わりを迎えました。
振り子の振れ始めは、酷く曖昧なものではあったものの、
静止ははっきりとしています。
好き嫌いという距離感は、私には余りにも遠過ぎたことを知ったときに、
青春は終わりました。
振れなくなってしまった振り子を見て、
もう二度と迷うことが、振れることが出来ないという
一抹の妙な後悔と
もう二度と振れずに済むと
覆い尽くす安息との間を
新たな振り子が自らの手でもって振らされ始めたときに、
その反復運動は、青春とは別物になっているのでした。