本棚にずらりと並ぶ本の一冊一冊よりも静かに、Bはあと30分に迫った閉店時間を待っている。頭の良さそうな大学生のいる店内を見るともなく、見ながら。
路地に面した窓から真っ赤な夕陽が差し込んで、大学生の座る椅子を真っ直ぐに照らしている。
Bの背後にある硝子の戸はそのままこの「長生堂」の主人であり建物の管理人であるおじいちゃんとおばあちゃんの居間につながり、その居間の奥には台所がある。
という割と古風な造りもあって、
私的空間と公的空間は隔てがたく、ほのかに夕食のカレーの匂いが忍び込んできたりもするわけである。
どこの家庭でもありがちなその匂いに大学生とBは同時に気づいて大学生は本から目をあげ、
Bは硝子戸の隙間を軽く見やったものの、
Bが硝子戸を静かに締め切るのを最後に二人はカレーから離れて各々とるべき態度をとる。
どうやったって腹は減る、と内心思いながら。
大学生はお会計のときにBに向かって、
「今日、カレーですか?」
と尋ね、Bは軽く苦笑いを浮かべながら、
「そうみたいですね」
と応えた。大学生は頷きながらお釣りを受け取り、
「また来ます」
と言って帰っていった。
8月2日、土曜の夕方、一日中一点の曇りも無く晴れて、暑い一日だった。
いつもと同じようにその日も長生堂はひっそりと、18時ぴったりで閉店した。
東京のほぼど真ん中、
文京区の春日通り沿いの路地を少し入ったところにある長生堂は、
古本屋と喫茶店を融合したいわゆるブックカフェの先駆けの店として、少しだけ有名である。
徒歩15分圏内に偏差値が上、中、下の三段階に綺麗に分かれた3つの大学があることもあって、
古本の種類は各大学の参考図書なども多いが、主に文学の本が多い。
ちなみにBは下の大学に通っている。
ちなみにBは下の大学に通っている。
本棚には各大学で使われている参考図書と、
国内外を問わない文学作品がおよそ10畳の部屋の壁中に処狭しと並んでいる。
この店は物静かで人当りの良いとある老夫婦が二人で30年間切り盛りしている。
その夫婦は、まだ若かった開店当初から、「おじいちゃん」、「おばあちゃん」の愛称で親しまれている。
そのくらい、物静かで、人当りの良い夫婦。
とある貧乏学生がひたすら立ち読みを続ける姿を見て、
夫が趣味でよく淹れていたコーヒーと小さな丸椅子をその貧乏学生に出したところ、
そのことが学生の間で話題になり、現在の営業形態に至ったわけである。
その30年の時間は木製の本棚や床の傷跡、
本棚の上の方にある本の古さなど随所に見受けられ、
近所に住むかつての学生がここへコーヒーを飲みに来ることも多々ある。
店の入り口のすぐ横、窓際の本棚は比較的新しくて、棚の造りもいくらかモダンになっているのだが、
これは三年前に新しく置かれた本棚である。
三年前の地震の際、割れてしまったコーヒーカップやいくつか倒れてしまった本棚や散らばった本などでしっちゃかめっちゃかになった店の再建のため、
ついでに、とかつては学生だった人々が手伝いに来て、ああでもないこうでもないと言いながら作った本棚。
一つの店を中心にかつては共に語らった人々が中年となって再び同じ店に集まり、その再建を手伝うという美談は、
地震のほとぼりが冷めたころ、ちょっとした新聞記事にもなった。
そのかつての友情の本棚のああでもないこうでもないの輪の中にはBの父親もいて、
その縁で、Bはこの長生堂のある3階建ての建物の3階の一室に住み、店番をするに至るわけである。
Bの独り暮らしは大学に通う、というよりはむしろ「長生堂」で働くついでに学生をしている、
と言っても過言では無い暮らしぬりである。
Bも、そのことに満足している。
一度中学生のときに父親に長生堂に連れてきてもらったときから、この空間が好きだったのだ。
大学入学以来、昼間は大学で授業を受け、午後からは長生堂で店番をするという生活リズムは全く変わらなかった。
おじいちゃんが昨年の夏休み、
「たまには友達と遊んだらどうだい」
とBに言ったことがあったが、
「遊ぶ友達がいません」
と、Bは少々自虐的に笑いながら応えた。
「ここにいるの好きなんで、これで良いんです」
とも付け加えるほどだった。Bは本当に、長生堂での生活が、好きなのである。
今日は土曜日だ。
と、Bは思いながら自分の部屋でシャワーを浴びて、寝間着に着替える。
Bは年末年始や実家に帰るとき以外は必ず、
毎週土曜日におじいちゃんとおばあちゃんと一緒に夕飯を食べる。
夕飯のメニューは、店を閉める前からとっくに、わかっている。